超売れっ子作曲家・ストラヴィンスキー、なぜ極貧だった?不幸なクラシック音楽家の金銭事情
小切手文化が浸透していた米国
ちなみに著作権は、日本では作曲家の死後50年まで保障されていますが、世界のほとんどの国々では70年です。作曲家の生前はあまり人気がなく生活に困窮するほどだったにもかかわらず、死後急に大人気となり、遺族がその後70年間、何もしなくても裕福な生活をしているという話もよく聞きます。
そんな著作権料の計算方法は、とてもユニークです。「この曲は人気がないので3万円。これは人気があるから10万円」といったような単純なものではなく、「コンサートのチケット料金×会場の定員数×演奏時間×決められたパーセンテージ=著作料」と計算されます。ポップスとは違い、基本的に赤字のクラシックオーケストラにとっては大きな出費となります。これが現代音楽の演奏を避ける理由のひとつになっていることは残念ですが、いずれにしても、作曲家にとっては生活するためも大事な収入となります。
さて、アメリカに渡ったストラヴィンスキーは、ロサンゼルスに居を構えました。そこにはナチスから逃れてきたユダヤ系作曲家や演奏家も多く、冬が長いヨーロッパとは違い、陽光溢れるカリフォルニアは芸術家たちにとって、とても居心地が良い場所でした。
そんなロサンゼルスで、面白い話を聞いたことがあります。真偽は不明ですが、ストラヴィンスキーはレストランの勘定の際には、現金で支払わず、小切手を切っていたそうです。ここでストラヴィンスキーの“悪知恵”に気付いた方は、かなり金銭感覚が鋭い方でしょう。この頃、すでに20世紀を代表する作曲家として有名だったストラヴィンスキーの直筆のサインが入った小切手です。レストランのオーナーが、「記念になるから」と考えて銀行で換金しないことを見越していたのです。
日本では、あまり一般的ではなかった小切手ですが、米国では広く普及していました。僕がロサンゼルス・フィルハーモニックの副指揮者だった20年ほど前でも、給料の支払いも小切手でしたし、スーパーマーケットでもレストランでもクレジットカード払いが主流とはいえ、銀行小切手で支払うことができました。僕が3年間のアメリカ生活を終えて英ロンドンに移住する際に、親しい友人から餞別を頂いたのですが、それも小切手でした。備考欄に「グッドラック」と書いてあったのを嬉しく覚えています。このように、なんでも小切手で支払うことができたのですが、それが移行したのがクレジットカードの歴史なんです。
一方、日本は現金主義でしたし、今もなお、クレジットカードを持っていても、実際には現金で支払う方が多いと思います。事実、クレジットカードを使えないお店もまだまだあります。そんななか、日本ならではの「PayPay」や交通系カードのように、あらかじめチャージする方式のカードなら抵抗感が少ないために、現在では主流になりつつあることは、世界的に見てもとても特異な国なのです。1959年に来日し、1カ月も滞在して日本をとても気に入ったストラヴィンスキーですが、小切手の悪知恵は使えなかったでしょう。
(文=篠崎靖男/指揮者)