久しぶりに談合事件が復活した。東京地検特捜部と公正取引委員会は、東日本大震災で被災した高速道路の復旧工事12件の談合事件で、道路舗装各社を強制捜査した。公取委は2月29日、独占禁止法違反(不正な取引制限)容疑で、検事総長に刑事告発したが、公取委の刑事告発は2014年3月の北陸新幹線の入札談合事件以来、約2年ぶり。
談合の疑いがもたれているのは、東日本高速道路(NEXCO東日本)東北支社が発注した岩手、宮城、福島県内などを通る高速道路の復旧舗装工事計12件。震災で東北地方の高速道路は各地で被害を受け、震災後の11年8~9月に復旧工事の入札が行われた。道路舗装会社12社が1件ずつ落札。落札総額は176億円に上り、工事は当初の計画通り1年3カ月で完了した。
談合に関わったとみられるのは20社で、いずれも昨年1月、公取委の強制調査を受けている。最大手のNIPPOのほか、前田道路、日本道路など大手12社で構成する上位グループと、常盤工業など中堅8社のグループに分けられていた。
規模の大きい工事は上位グループが受注し、中堅各社には一定の規模以下の工事が割り振られるよう受注調整していた。
上位グループは、NIPPOと前田道路、日本道路の3社が仕切り役の幹事社となり、落札業者を決めた。舗装に使うアスファルトを製造する自社のアスファルトプラントに近い工区をそれぞれ受注できるよう事前に調整していたという。
日本道路の幹部、現本社役員が談合の元締めか
関係者によると、談合はNIPPO、前田道路、日本道路の各社支店長級の営業担当者が幹事社として調整役を担っていたとされる。日本道路の支店長が営業担当だった時に談合の手法を考案。支店長になって現場を離れた後も、幹事社3社の営業担当に助言していた。
独占禁止法違反容疑で告発された10社を法人として起訴するとともに、11人を在宅起訴した。11人はNIPPO、前田道路、日本道路の幹事3社を含む10社の営業担当者らで、起訴された10社は前田道路、東亜道路工業、大成ロテック、大林道路、佐藤渡辺、NIPPO、日本道路、三井住建道路、ガイアートT・K、北川ヒューテック。
課徴金減免制度(リーニエンシー)を利用し、公取委に最初に独禁法違反を自主申告した世紀東急工業は告発が見送られ、書類の不備で落札が無効になった鹿島道路と当初の落札予定者ではなく、やり直しで落札した常磐工業の2社は告発の対象から外れた。
幹事社は適切な入札を装うため、受注を希望する業者に入札に参加するよう依頼していたという。“サクラ”になれば、見返りに別の公共工事に受注を約束していたという。サクラになった下位業者は「落札したい国道工事の内容を伝えていた」と語っている。
談合決別宣言後に新たにできた談合組織
05年末に鹿島、大成建設、清水建設、大林組のスーパーゼネコン4社は「談合決別宣言」を出した。
和歌山県発注のトンネル工事の談合事件、防衛施設庁発注の在日米軍岩国飛行場の土木工事の官製談合事件、名古屋市発注の地下鉄工事の談合事件、大阪府枚方市発注の清掃工場建設の官製談合事件など談合事件が続発し、06年1月に談合を封じ込めるべく独禁法の罰則が強化されたためだ。
この談合決別宣言後に事件の摘発が相次いだ。
今回摘発された道路舗装業者の談合組織は、決別宣言直後につくられたという。それまで談合は必要悪とみなされ、おおっぴらに行われていた。国際的な競争にさらされている製造業に比べて、国内産業の建設業は厳しい競争に直面してこなかった。談合で工事を分け合い共存共栄ができたからだ。業担(業務担当)と呼ばれる談合ポストは社内の出世コースであった。決別宣言後は世間の目も厳しくなり、さすがに堂々とはやれなくなった。
上位グループは大手3社の東北支社の部長クラスが集まる「ハトの会」と呼ばれる親睦会を開き、仙台市内の繁華街で会合を重ねていたという。ハトの会が幹事社の集まりだった。
道路舗装最大手のNIPPOは石油首位JXホールディングスグループ、前田道路は準大手ゼネコン前田建設工業の子会社、日本道路はスーパーゼネコンの清水建設系である。
道路舗装会社に談合組織ができていたということは、ほかの官庁工事でも談合組織が復活している可能性がある。
「談合の総元締」植良祐政の後ろ盾は田中角栄
談合の歴史は豊臣秀吉の時代に導入された入札制度とほぼ同時に始まったとされているから、かなり古い。明治時代には、談合破りの業者の入札を暴力的に妨害する談合屋が暗躍した。
現代の談合のルールが整備されたのは高度経済成長時代の1960年代に入ってからである。この頃は大物仕切り屋の時代だった。当時、国が行う大型公共工事は、道路、鉄道、ダムだった。
60年代は大成建設副社長の木村平氏が談合組織を仕切った。木村氏の引退後は、鹿島副社長の前田忠次氏と飛島建設会長の植良祐政氏が引き継いだ。中央談合組織「経営懇話会」の会長を務めた植良氏には「談合の総元締」という称号がついた。
鹿島、大成建設、清水建設といったスーパーゼネコンのバックを持たない植良氏が談合の総元締として君臨できたのは、元首相で建設族のドン・田中角栄氏と強い結びつきがあったからだ。
85年、植良氏の最大の後ろ盾だった角栄氏が脳梗塞で倒れ、その建設利権を受け継いだのは、建設族の新しいボス、自民党副総裁の金丸信氏だった。金丸氏には角栄氏ほど政治家や建設業界を抑え込む力がなかったため中央の談合組織は弱体化し、植良氏は急激に力を失った。
「談合の帝王」平島栄氏のバックには金丸信氏
中央談合組織が機能不全に陥るなかで頭角を現したのが、関西の談合組織を支配していた大林組常務の平島栄氏である。「談合の帝王」と呼ばれた平島氏は、金丸氏の口利きで大林組から西松建設の取締役相談役に転じた。
だが、談合の帝王は失脚した。発端は95年に起きた阪神・淡路大震災の復旧工事だった。神戸港の岸壁復旧工事は、事前の談合で平島氏の西松建設に決まっていた。ところが、東京の佐伯建設工業が超安値の札を入れ、工事をかっさらった。
これに対して「談合破りだ」と激怒した平島氏は、佐伯建設工業の当時の社長を呼び出して辞任に追いやった。談合破りのペナルティとして社長の首をすげ替えた平島氏の荒業に、スーパーゼネコンの首脳たちは腹を立てた。常識外れの行動に恐怖感を持ったとの見方もある。
その後、大手ゼネコンは平島氏を外した新しい談合組織を立ち上げた。大物政治家がバックにいた時代には、スーパーゼネコンといえども平島氏に逆らえなかった。だが、角栄氏や金丸氏がいなくなって平島氏の権威が失墜したため、機に乗じて平島氏を葬り去ることができたわけだ。
談合を撲滅するとイタリア化する?
大物仕切り屋が次々と舞台を去り、談合の世界は一変し、天下りした官庁OBが談合を仕切る「官製談合」の全盛時代を迎えた。官製談合も05年の談合決別宣言でなくなったと思われていたが、実際はなくならなかった。昔ほど大っぴらにはできなくなったが、談合は脈々と引き継がれてきたのだ。震災復興工事の談合事件は、たまたま表面化したにすぎない。
談合は違法行為であるが、必要悪であったことも事実だ。談合を撲滅すればイタリア化するとの懸念が指摘されている。イタリアの建設工事はマフィアが仕切っている。イタリア化を避けるために、時々お灸をすえる。それが、今の談合の摘発事件の実相である。
(文=編集部)