中西宏明・経団連会長は9月7日、リンパ腫再発後、初めて記者会見した。2カ月ぶりに病院を出て、会長・副会長会議に出席。その後、記者会見に臨んだ。「体調は悪くない」としたが、「試行錯誤しながら最先端の治療を受けている」と説明した。再発の難しさもあり、退院の時期は見通せない。
「安倍首相のように『辞めたい』と言いたいが、そんな経済情勢ではない。ご迷惑をかけながらも一生懸命やっていきたい」と述べた。安倍首相については「新型コロナウイルスの感染拡大対策を十分に主導できなかった」「コロナ対策の全過程で主導権が薄く、辞任という決断になった」と分析。コロナ対策が後手に回ったことが退陣につながったという認識を示した、と毎日新聞は書いている。
中西会長の病状は予断を許さないということだろう。年末辞任というスケジュールが浮上することも考えられる。中西氏はリンパ腫のため、2019年5月下旬から3カ月半、病気療養し、9月に復帰した。11月下旬に病状が治まった状態である「寛解(かんかい)」との診断を受けた。「寛解」とは、全治とまではいえないが、病状が治まっておだやかであること。中西氏は復帰後に定期的に受けている検査で、腫瘍マーカーの数値が悪化していることがわかった。7月14日から精密検査のため入院していた。
経団連の会長が長期にわたって休んだのは中西会長が初めて。経団連は会長不在時のルールを特に設けてはいない。会長代行を置かず、案件ごとに担当の副会長らが対応することになっている。
かつての経団連会長経験者は「経団連会長はボランティア(の仕事)のようなもの」と真顔で語ったことがある。それに、経団連が政策提言しても安倍政権はほとんど採用しなかった。「財界総理」と呼ばれた経団連会長は、今や名誉職でしかないといった辛辣な見方さえあるなか、中西会長は病気を押して経団連会長を続けるというのだ。
ポスト中西の絶対本命はいない
「ポスト中西」のポイントは「製造業にこだわるかどうか」(元経団連副会長)
20年7月1日現在の副会長は、進藤孝生・日本製鉄会長、山西健一郎・三菱電機特別顧問、早川茂・トヨタ自動車副会長、越智仁・三菱ケミカルホールディングス社長、大橋徹二・コマツ会長が製造業出身である。山西氏は特別顧問だし、トヨタの早川氏は豊田章男社長が経団連になびいてくれないから代わりに副会長になってもらっている、いわば“当て馬”である。来春、早川氏はトヨタの副会長を辞めるとみられている。進藤氏が本命、対抗は大橋氏。越智氏が大穴(失礼な言い方になったらお許しを)というのが大方の見立てだ。
しかし、リストラがこれから本番を迎える日本製鉄に経団連会長を出す余裕はないはずだ。人柄からいえば越智氏は有力候補だが、化学出身の経団連会長については、事務局にトラウマがある。
審議員会議長・副議長で製造業出身者は、副議長の宮永俊一・三菱重工業会長、津賀一宏・パナソニック社長、吉田憲一郎・ソニー会長兼社長。津賀、吉田の両氏は経団連会長の椅子に興味はなさそうだ。審議員会副議長から経団連会長になる目があるとすれば、三菱重工業の宮永会長だが、日本製鉄以上に経団連の会長をやる余力はなかろう。宮永氏が引き受けたら社内外から非難轟々である。
こう見てくると、ポスト中西の絶対本命はいないということになってしまう。経団連の歴史的使命は終わったと、かねてから指摘されてきた。日本の産業構造は、製造業からサービス業に転換した。だが、経団連は重厚長大産業の製造業が主力メンバーだ。IT(情報技術)化の流れに完全に乗り遅れた。
官邸と経団連の力関係
12年の第2次安倍晋三政権誕生後、官邸と経団連(=財界)の力関係は大きく変わった。安倍氏が自民党総裁に帰り咲いた早々、外交や金融政策に注文をつけた当時の米倉弘昌・経団連会長に安倍氏は激しく反発。第2次政権発足後、経団連会長の「指定席」といわれた経済財政諮問会議の議員のポストを米倉氏には与えなかった。
14年、米倉氏の後任として経団連会長に就任した榊原定征氏は官邸との関係の修復に務め、“安倍さんのポチ”と揶揄された。18年、経団連会長に就いた中西氏は、「物言う経済界」のリーダーとなることが期待された。しかし、「長期の会長不在が響き、経団連は鳴りを潜めたまま」(安倍政権に近いとされるIT企業のトップ)との指摘もある。
もう一度、“ポスト中西”に戻る。もし、中西会長にハプニングが起こった場合、進藤氏が急遽、登板することになるのではないのか。この選択肢しかなさそうである。経団連会長に誰がなっても日本経済新聞を除き1面のニュースにはならなくなって久しい。だが、「途中交代ということになれば経団連史上で初めてのこと。大ニュースだ」(前出の経団連の元副会長)。
政界も財界も年末、年始にかけて大波乱の予感がする。
(文=有森隆/ジャーナリスト)