モーツァルトを死に導いた『レクイエム』の秘話…夫人と作曲依頼者、欲にまみれた人間模様
岐阜県の民家の古い納屋から、埃だらけの高級車が見つかったことがニュースで大きく報じられました。もう3年前の話ですが、車内もかなり汚れ、ただ放置されていたその赤いクルマは、なんとイタリアの高級スポーツカーメーカーとして世界的なフェラーリが1969年に生産した、世界に1台しかない特別仕様車「フェラーリ365GTB/4」、通称“デイトナ”だったのです。
フェラーリは1968年からのたった5年間、デイトナを約1400台生産しましたが、1967年にアメリカのデイトナ24時間レースに出場するために、軽量合金であるアルミニウムボディ車を5台だけ特別生産しました。そのなかでも、公道走行可能なタイプは前出の納屋から見つかった1台だけでした。実はこのクルマは、これまでに数奇な運命をたどっていたのです。
まず、イタリア国内で2年間という短い期間に何人かのオーナーを転々とし、1971年に日本に輸入されたのです。それから日本国内でも何度か売買されたのち、なぜか岐阜県の民家の納屋に収まります。そして、走行することも赤いボディーを磨かれることもなく、40年近くも放置されていたそうです。
しかし、このフェラーリはまだその生涯を終えていませんでした。天災でもあれば崩れそうな古い納屋から無事発見されると、洗浄も修復もされずに再び海を渡り、イタリアのフィオラノ・サーキット、フェラーリ社のテストコースで競売会社サザビーズのオークションにかけられ、なんと180万ユーロ(約2億3300万円)の値が付いたのです。持ち主も、納屋に放ってあったクルマが、世界に1台しかない貴重な高級車だとは思いもしなかったのではないかと思います。
ところで、外装も内装もきれいにしてからオークションにかけたら、もっと高く取引されたのではないかと思われるかもしれませんが、以前、オークションに携わっている方に聞いたところ、余計なことをすると大きなダメージとなって値打ちが下がることがあるそうです。そのため、見つかったときの状態のままで売買し、買い取った方が少しずつ修理したり、磨いたりするのもマニアの楽しみのひとつのようです。
これは、楽器の世界でも同じです。もし、音楽が大好きで、ご自身もヴァイオリンを弾かれていたお金持ちのおじいさんの遺品から古いヴァイオリンが出てきたとしたら、指1本触れずに、すぐに信頼できる楽器屋に持っていってください。もしかしたら、最低1億円は下らないイタリアの名器、ストラディバリウスかもしれません。たとえば、あまりにも埃をかぶっているからといって、磨いたりしてニスがはがれたりすると大変ですし、乱暴にこすってヒビでも入ったら、一巻の終わりとなります。
とはいえ、そんなうまい話はなかなかあるものではないでしょう。むしろ、後生大事にしていた名器のヴァイオリンが、よくよく鑑定してみると偽物であったというほうが多いと思います。
モーツァルトを死に導いた「レクイエム」の裏話
偽物といえば、偽物でありながら有名な曲があります。それは、レオポルド・モーツァルトの「おもちゃの交響曲」です。この交響曲はものすごく変わっていて、演奏する楽器は、子供のおもちゃのラッパ、太鼓、カッコウ笛、鳥笛、ガラガラ、トライアングルと弦楽器だけです。子供のおもちゃの楽器を、いつもは難しい顔をして楽器を演奏しているプロ中のプロの演奏家が演奏するのですが、なかなか楽しい曲なので、ぜひ皆さんにも一度は聴いてください。
作曲者のレオポルドは、有名な大天才作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父親ですが、レオポルドが作曲した作品はほとんど残っていないので、彼の代表する交響曲として知られていました。しかし、実はレオポルドはまったく関わりがなかったのです。つまり偽物というよりも、本人の死後、勝手に偽作になってしまったのです。この「おもちゃの交響曲」は、先述のフェラーリと同じように、数奇な運命を持っており、レオポルドの作品といわれる以前にも、大作曲家ハイドンの作品だとか、ハイドンの弟でモーツァルト家とも親交があったミヒャエルの作品に違いないなどといわれていました。それが最近の研究で、教会の神父エドムント・アンゲラーが作曲した作品であることが、やっと判明したのです。
確かに、幼稚園児が遊ぶようなおもちゃで交響曲を書くなんて、プロの作曲家には思い浮かばないので、合点がいく気がします。しかし皮肉なことに、作曲家としては無名なアンゲラーの交響曲よりも、ハイドンかレオポルドの作品と考えられていたほうが、人々の興味を強く引いていたことは確かです。
実は、彼らの時代には著作権という言葉もなく、有名なモーツァルトの作品として伝わっている名作であっても、偽作ではないかといわれている名曲があるくらいです。とはいえ、知らぬが仏という言葉もある通り、モーツァルトの名作と思いながら聴いていたほうがよいのかもしれません。
そんななか、なんとモーツァルト自身が、結果的に偽作を作曲するはめになってしまった曲があります。それは、彼が死の床において書き続けた遺作「レクイエム」、死者への鎮魂曲です。簡単に言うと、葬式の音楽ですが、モーツァルトの最高傑作ともいわれています。35歳で生涯を終えたモーツァルトの晩年は散々で、お金に困り果てていました。大ヒットした歌劇「魔笛」を作曲し、皇帝レオポルド二世の戴冠式のために歌劇「皇帝ティートの慈悲」の注文を受けていた売れっ子作曲家でしたが、ばくち好きなモーツァルトは、やっと儲けたお金もカジノですってしまうのです。
そんなある日のこと、モーツァルトのアパートのドアをノックする音がしました。ドアを開けてみると、見知らぬ男が立っています。その男は、「ある匿名の依頼者が、あなたにレクイエムを書いてほしいと言っている」と言い、高額な報酬を約束しただけでなく一部を前払いとして置いていったのです。これほどまで金払いが良い依頼者に、モーツァルトは飛びつきました。
しかしその後も男はたびたび現れて、モーツァルトに早く完成させるよう催促を続けます。ずっと作曲し続ける羽目になったモーツァルトは無理がたたり、持病も悪化し、完成を待たずして「これは僕の死の歌だ」と言い残して亡くなってしまいます。
その後、「あの不思議な依頼者は死神で、モーツァルトにモーツァルト自身のレクイエムを書かせたのだ」という、まことしやかな噂話が広まっていきました。実際に、モーツァルトの葬儀では未完のレクイエムが演奏されたのです。
体が衰弱しているモーツァルトに不吉なレクイエムの制作を依頼し、しかも休めないくらい執拗に催促をし続けたのは、モーツァルトの最大のライバルであった作曲家サリエリだったのではないかという説まで飛び交いました。実際には、音楽好きな貴族、ヴァルゼック伯爵が、モーツァルトに制作させた曲を自分の作品として発表するために依頼したというのが真相です。未完だったため、モーツァルトの弟子が加筆した上で、モーツァルトの未亡人であるコンスタンチェが伯爵に手渡し、多額の報酬を受けとりました。
伯爵は自分の作品として初演まで指揮しています。しかしその後、コンスタンチェは、こっそり手元に残して置いたコピーを、伯爵の抗議などお構いなしに「亡夫モーツァルトの作品」として出版し、またひと儲けしたのですから、どっちもどっちです。しかし、伯爵は後世まで何も知らないモーツァルトに書かせた偽作によって自分を誇示しようとした人物として、後世まで汚点が残ることにもなりました。
(文=篠崎靖男/指揮者)