過酷労働でも報酬たった5千円…野球審判員、副業なしで生活困難な実情、プロは超狭き門
「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数ある経済ジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
プロ野球をはじめ、独立リーグ、社会人野球、大学野球や高校野球、さらには草野球や女子野球まで、野球シーズンたけなわだ。現在は国内各地でさまざまな試合が行われている。プロ野球のNPB(日本野球機構)に所属するセントラル・リーグ、パシフィック・リーグの「セ・パ12球団」の試合結果や内容は、多くのメディアで報道されるが、それ以外の野球は、高校野球「春夏の甲子園」大会を除き、詳しく報じられることは少ない。
さらに、試合の進行を担う審判員に至っては、プロ野球の判定以外は、ほとんど報道されない。だが、どんな試合でも、審判員がいて初めて成立する。
そこで今回は、「野球審判員」に焦点を当て、審判業務への思いを、普段の活動も含めて紹介したい。NPB審判員ではなく、独立リーグの審判員も務めたベテランと若手の2人にスポットを当てた。
10歳で審判員を志し、編著書も出版
『わかりやすい野球のルール』(成美堂出版)という本がある。この本の監修を十数年続けるのが粟村哲志氏(日本リトルシニア中学硬式野球協会・関東連盟審判技術委員、練馬リトルシニア所属)だ。1975年広島県生まれの同氏は、10歳で野球審判員をめざしたという。
「それまでは外で遊ぶよりも読書が好きな子供でしたが、地域のソフトボールチームに入団したのがきっかけで野球好きとなり、父親が買ってくれた野球入門書を熟読しました。放課後に仲間と広場で草野球を楽しみましたが、運動神経が鈍く、ソフトボールのチームでもずっと補欠でした。子供心に、レベル差があり自分は下手と感じていたので、『審判だったら、上手な人とも一緒にグラウンドに立てる』と思いついたのです」(粟村氏)
同氏の父が数年間、軟式野球の公認審判員を務めた時期があり、自宅に審判服や胸につけるワッペン、「ストライク」「ボール」「アウト」をカウントするインジケーターもある環境で育った。10歳の時に試合の審判に名乗り出て、その魅力にハマると、テレビでプロ野球や高校野球の試合を観ても、選手より審判の動きに注目する子供だったという。
長じて早稲田大学に進むと、在学中にアマチュア野球の名審判員として知られ、多くの名試合の球審も務めた故・西大立目永氏(当時早大教授)に師事し、中学硬式野球の「リトルシニア」を皮切りに、独立リーグの審判員も務め、NPBの審判員をめざした。