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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

作曲家はなぜモテる?女性の心をつかむ究極の武器、花束代わりに作曲してプレゼント

文=篠崎靖男/指揮者
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「Getty Images」より

「ひとつの恋愛が終わると1曲、作曲する」と言っていたのは、ある作曲家です。それらがすべて素晴らしい作品なので褒め讃えると、「そうでもして元をとらないとね」との答えで、凄いなあと感心しました。

 実は作曲家は結構モテるのです。作曲家からラブレター代わりに1曲プレゼントされたと、ある女性の友人から聞いたこともあります。花束の代わりに、好きになった女性だけのために作曲してプレゼントする。もらった女性も、嫌な気持ちにはならないと思います。それが名作かどうかは関係なく、作曲家はものすごい武器を持っているといえます。

 本連載でも書きましたが、生涯結婚しなかったベートーヴェンやブラームスがまったく女性にモテなかったわけではなく、彼らもそこそこ恋愛を繰り返しているんです。『美しく青きドナウ』を作曲したヨハン・シュトラウスや、ドイツ歌劇の第一人者リヒャルト・ワーグナーなどは、プレイボーイだったといわれています。

シューマン、『ピアノ・ソナタ第1番』で彼女の心を鷲づかみ

 音楽で女性の心を掴んだといえば、ドイツ・ロマン派の巨匠で、高校の音楽教科書にも載っている『流浪の民』の作曲家、ロベルト・シューマンでしょう。ピアニストを目指していた彼は、師匠ヴィークの娘であるクララと恋仲になってしまいます。このクララは少女時代から天才ピアニストとして有名で、ヴィークの自慢の娘でした。シューマンが弟子入りした時、クララはまだ9歳でしたが、すでにピアニストとして大きな話題になっていたのです。

 彼らがお互いを意識し始めた時、シューマンは26歳、クララは16歳。指の故障でピアニストの道を断念せざるを得なかったシューマンに引き換え、クララはスター街道まっしぐら。ヴィークはシューマンに対して「クララはコンサート・ピアニストとして育てたのであって、主婦にするつもりはない」と告げ、交際に大反対。その後、街でシューマンとすれ違った際に、暴言を吐くだけでなく、顔に唾を吐きかけたり、急に平手打ちにしたりするほどでした。

 さすがにクララも参ってしまってシューマンとの結婚をあきらめようとしたとき、シューマンは最大の武器を使うのです。それは『ピアノ・ソナタ第1番』。この記念すべき最初のピアノ・ソナタを捧げることにより、ピアニストであるクララの心をしっかり取り戻したのです。

 その後、ヴィークを相手取り、訴訟にまで発展。そして、シューマンとクララは無事幸せに結婚し、なんと8人もの子供に恵まれたのですが、シューマンを中傷したとして名誉棄損で訴えられたヴィークは、なんと禁固2週間の判決を受けるという落ちまでついています。ヴィークは、大作曲家シューマンとクララの結婚を反対した頑固な父親として、後年語り継がれることになったわけですが、僕も娘を持つ父親なので、ちょっぴり同情します。

 一方、1940年9月にクララと結婚したシューマンは幸せの絶頂で、それまでは興味がなかった歌曲を、その年になんと120曲以上も作曲します。それらが後世に残る名作ばかりというのも驚きますが、単純計算をすると3日に1曲書いていたことになります。

 しかも、結婚直前の数カ月の間には、恋をテーマにした歌曲集『詩人の恋』で自分の気持ちを表し、歌曲集『女の愛と生涯』で女性が恋をし、結婚、出産を経て幸せな生涯を送る物語を描いています。つまり、新妻クララのこれからの幸せな生涯を音楽で表現するくらいの有頂天でした。そして結婚の翌年には、交響曲第一番『春』を意欲的に作曲し、クララが初演ピアニストを務めた大名作『ピアノ協奏曲』の第一楽章も完成させ、人生の春を謳歌していたのです。

 クララは、シューマンに出会う前はピアノしか知らない人生です。シューマンの音楽と愛情が一緒くたになって、あっという間にノックアウトされ、後年、シューマンが精神疾患により亡くなったあと、「19世紀最高のピアニスト」とまで言われるようになっても、シューマンの音楽を世界に広め続けました。

 ちなみに、僕がヨーロッパに留学した頃は、まだお金はユーロ紙幣ではなく、ドイツはマルク紙幣でしたが、100マルク札はクララ・シューマンでした。ドイツでは今もなお有名な女性なのです。

 しかし、話はそれで終わらないのです。シューマンが亡くなった後、未亡人クララは、シューマンが世に売り出した作曲家で14歳年下のブラームスと恋仲になったといわれているので、作曲家の愛に翻弄された人生といえます。

 そのブラームスですが、クララと関係を深める前には、シューマン夫妻の娘ユーリエのことを好きになって、シューマンの遺作の主題を使った『シューマンの主題による変奏曲』をユーリエに捧げます。しかし、ブラームスはシューマンとはまったく反対の性格で、かなり奥手な人物。結局、その熱い気持ちは伝わらずに、彼の心の中に秘めた恋は終わってしまいます。それでもその後、なんとユーリエの母親である14歳年上の未亡人クララと恋仲になるのですから、なんだかハチャメチャな話です。

 そんな奥手なブラームスがクララに宛てたラブレターはやはり独特で、21年間もかけてやっと完成した交響曲第1番の最終楽章の、有名なホルンのメロディーに潜り込ませています。それは、完成からさかのぼること8年前、「高い山や、深い谷から、君に何千回も挨拶を送ろう」と書き添えて、クララに捧げたメロディーでした。コンサートに出かけたクララは、8年越しのロマンチックなラブレターに、「そういうことだったのね」と再びノックアウトされてしまったのだと思います。

プレイボーイのワーグナー、人妻をも落とすテクニック

 このように、恋愛を派手に繰り広げていた19世紀の作曲家たちですが、あるかわいそうな指揮者が犠牲となりました。その指揮者の名前はハンス・フォン・ビューロー。若い時からワーグナーの音楽に心酔した大指揮者です。尊敬するワーグナーに指揮を学んだだけでなく、彼の歌劇を次々と初演して世に広めていました。

 ところがそれが仇となり、連れていた愛妻をワーグナーに目をつけられ、奪われることになります。その後のビューローは、憎き相手となったワーグナーと人気を二分していたブラームスの作品を積極的に取り上げます。その結果、交響曲第1番をはじめ、ブラームスが大きく評価されるきっかけとなったので、ビューローのプライベートは気の毒に思いますが、後年の音楽ファンにとっては良かったのかもしれません。

 片や、プレイボーイのワーグナーは、彼にしか生み出せない巨大な発想の歌劇だけでなく、やはり女性の心を音楽で掴むスケールも破格でした。なんとビューローから奪った新妻コジマだけのためにオーケストラを用意したのです。

 1862年に知り合った彼女とは、ビューローが離婚に応じてくれるまでの間に2人の子供をもうけ、今でいう不倫の関係を続けていたのですが、やっと再婚することができたのは1870年。その年のコジマの誕生日の朝、二階の寝室のベッドで目覚めたコジマは、家のどこからかオーケストラの音が聴こえてくることに気づきます。19世紀ですから、ステレオやラジオがある時代ではありません。

 なんとワーグナーは、小編成オーケストラの新曲を作曲し、極秘に練習を重ねていました。そして当日の朝早く、コジマが起きるまえに物音を立てないように細心の注意を払いながら自宅のらせん階段に楽員を配置し、美しく演奏を始めたのです。その曲は『ジークフリード牧歌』と名付けられ、今でも名作として演奏されています。この時のコジマの感激は、いかほどだったでしょうか。

 やはり、ますますワーグナーにノックアウトされて、ワーグナーの死去のあとも92歳まで長生きし、ワーグナーの歌劇だけを演奏する、今も世界中のワーグナーファンが集まるバイロイト音楽祭の発展に尽力したのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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