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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

日本のオーケストラ、コロナ禍下での活動は世界最高…難題乗り越えいち早く活動再開

文=篠崎靖男/指揮者
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「Getty Images」より

 コンサートに行ったことがなくても、ほとんどの皆様はオーケストラをテレビなどでご覧になったことがあると思います。そこで演奏はともかく、オーケストラをじっくりと眺めてみると、フルートやトランペットのような管楽器は1人でひとつの譜面台を使用しているにもかかわらず、弦楽器は2人でひとつの譜面台を一緒に使っていることに気づいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 演奏家にとっての譜面台は、会社員にとっての仕事用デスクです。その上に置いてある楽譜は仕事の書類といえます。そうなると、弦楽器奏者は2人でひとつのデスクを共有し、楽譜という書類もひとつだけ。そこに指揮者の指示を鉛筆で書き込んでいくわけです。

 仕事の相性が合う人と譜面台を共有できればいいのですが、時にはやりづらい相手と一緒に譜面台を使わなくてはならないこともあるようです。相手の音程が少し違っていたり、微妙にリズム感が合わないとなれば、自分の調子まで崩れてしまいますし、客席からはわかりませんが、「この人とは弾きづらい」「本当はいつもの相手と演奏したい」といった無言の声がひしめいているのが、オーケストラの違う顔なのです。

 そんな時には、「次回からは、あの人とはやりたくない」と、事務局に伝える楽員もいるでしょう。もし、それが試用期間中の新団員やエキストラ奏者だとしたら、評価に結び付いてしまうかもしれないので、簡単な話ではありません。

超難関作業「譜めくり」

 しかし、やりづらい原因が音楽とは関係がないこともあります。それは楽譜のページをめくる作業、つまり「譜めくり」です。

 典型的なオーケストラを例にすると、弦楽器は50名程度です。一番ヴァイオリンは14名ですが、作曲家の特別な意図がない限り、普通は同じ楽譜を一斉に演奏します。これは、二番ヴァイオリン12名、ヴィオラ10名、チェロ8名、コントラバス6名も同じです。しかもオーケストラ曲は弦楽器を中心として作曲されており、ほとんど時間、弦楽器は弾き続けています。

 ここに、もうひとつの大きな理由があります。ずっと弾き続けている弦楽器だけに、演奏しながら譜めくりの必要な場合がしょっちゅうあるのです。しかし、左手は楽器、右手には弓を持っているので、弾きながらめくるのは不可能です。そこで、譜面台を共有している2人のうちのひとりがめくるのですが、これにもルールがあって、客席から目立ちにくい内側の奏者が行います。

 ところが、実際にやってみると意外と難しいのです。少しでも遅くめくってしまったら、片方の弾いている奏者の演奏も止まってしまいます。実は奏者は、ちょうど弾いている場所の音符ではなく、少し先を見ながら演奏するという、ものすごく難しい作業をこなしています。これは訓練の賜物としか言いようがありませんが、これにも人それぞれに個性があります。

 極端に言えば、次の小節を見ている人もいれば、ほんの少しだけ先を見ている人もおり、それによって楽譜をめくるタイミングが変わってきます。もう次の小節を見たいのにまだめくってくれなかったり、まだ見ているのに次のページにめくられたりすると、演奏に支障を来します。つまり、楽譜を共有する2人には阿吽の呼吸が必要で、「譜面台パートナー」としての関係を培うのです。遅くも早くもなく、絶妙なタイミングでサッと楽譜をめくることができるようになれば、一人前です。

 その点、管楽器や打楽器は、一つひとつの楽器ごとに違う楽譜なので、譜面台も各自ひとつずつ使用しています。しかも、弦楽器のように演奏し続けていることはほとんどなく、演奏していない休みの場所が多いので、その時に落ち着いてページをめくることができます。「管楽器や打楽器は曲中にちょくちょく休みがあるのに、なぜずっと弾き続けている我々と給料が同じなんだ」と言うのは、弦楽器奏者の定番のブラックジョークです。しかし、管打楽器奏者も演奏が休みの間には、楽器のリードを換えたり、管の中にたまった水分を抜いたり、違う打楽器に持ち換えたりと、結構忙しいのです。

日本のオーケストラ、感染症対策下では世界の最先端

 さて、今回のコロナ禍で、オーケストラ自体も感染症対策のために、これまでとは同じように演奏ができなくなりました。ソーシャルディスタンスを保つこととなり、弦楽器同士の距離も通常よりも広くとられています。それによって、ひとつの譜面台を2人で共有することができなくなったのです。苦肉の策として、弦楽器奏者も1人ひとつの譜面台を使うこととなりましたが、譜めくりの問題が出てきました。同じ楽譜を使っているので、もし全員が一斉に譜めくりをしようものならば、音が無くなってしまいます。

 政府の“三密回避”の指針が変わったこともあり、日本のオーケストラでは、距離を保ったうえで、2人でひとつの譜面台を共有するスタイルに戻っていますが、今でも欧米ではそれこそ2メートルくらい距離を取り、譜面台は1人にひとつの場合がほとんどです。それどころか、一人ひとりの奏者の周りを囲むようにアクリル板を設置して演奏をしているところもあります。ここまで来れば、オーケストラの演奏とはいえません。

 実は、コロナ禍の中、日本のオーケストラは再開も早く、クラスターも一例もありません。感染症対策下のオーケストラ活動としては、世界の最先端といえます。これは欧米と比較すると、日本での感染者数がかなり少ないことも要因ですが、オーケストラ自体の感染症対策だけでなく観客もマスク、検温、手指消毒はもちろん、一人ひとりの座席番号と連絡先までしっかりと把握するほど、厳しい対策にご協力いただいているからだと思います。欧米の音楽家やマネージャーと話をしていると、そんな日本をうらやましく思っているようです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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