若い方はご存じないかもしれないが、1980年代に「イギリス病」という言葉が流行したことがある。60年代ぐらいまで安定した経済発展を遂げ世界の大国だったイギリスが、70年代以降経済的に停滞したことを憂いてつけられた病名だ。アメリカのみならず日本にも経済的に抜かれ、慢性的な不況に悩まされたイギリス国民は自らの経済を「イギリス病に罹っている」と嘆いたのだ。
それと同じ意味で日本もその後「日本病」にかかり、中国にも経済的に追い抜かれてしまった。その間、イギリスはイギリス病から抜け出して再び経済発展に転換できたことから、日本の経済再生のヒントはイギリスにあるのではないかといわれている。
そのような視点で私もイギリスの近代経済の歴史について研究しているのだが、今回のコラムはそのひとつのトピックとして、16世紀から19世紀の絶好調だった当時のイギリス社会の話をしてみたい。最後まで読んでいただくと現代の日本と関係する話だと謎が解けるはずだ。
ジェントルマン
さて、イギリスという国は基本的に階級社会で、今でも王族の下に貴族の階級があってそれなりに高い地位を占め、それなりに社会から尊敬されている。16世紀から19世紀までそのさらにひとつ下の階級として力を持っていたのが地主などの階級であるジェントリで、貴族の称号を持つ領主とともにジェントルマンと呼ばれた。日本やアメリカではジェントルマンといえば一般男性(ただしきちんとした人)のことを指すが、イギリスではジェントルマンは上流階級のことを指すのである。
さて、この伝統的なジェントルマンにはひとつの社会的ルールがあった。ジェントルマンたるものは、働いてはいけないのだ。ここが現代の支配階級との大きな違いである。
現代社会の上流階級はたとえ数百億円の資産を持っていたとしても、企業経営者として働いたり、政治家に転身したりして身を粉にして働くのが常である。その理由は、現代社会では「権力は資産だけからは得られない」からである。金融資産が100億円あるから支配階級にとどまれるわけではなく、オーナー経営者だったり有力政治家だったりするからこそ社会を支配できる。これが第2次世界大戦後の民主主義というものである。
そうではなく、生まれながらにして支配階級だったという時代のジェントルマンは、権力を保持するために領主として「働く」必要はなかった。逆に「働いている者はジェントルマンではない」とみなされたのである。