一般的に金融グループが再編する際には、主導権を握った銀行のシステムに他行が合わせる「片寄せ方式」が採られる。東京三菱銀行はIBM、三井住友銀行はNEC、UFJ銀行は日立となった。ところが、3行が経営統合して発足したみずほグループだけは片寄せされず、各行のシステムが共存した。
みずほBKでは、性能面から見て富士銀のIBMのシステムへの片寄せが有力視されていた。だが、第一勧銀=富士通連合が巻き返しに出た。東京銀行の勘定系システムを担っていた富士通は三菱銀行と東京銀行の合併で破れ、さらに三井住友銀行の誕生で、さくら銀行を失った。富士通は2連敗である。みずほを失うと4大金融グループをすべて失い、再起不能となる。ピンチに立たれた富士通は秋草直之社長(当時)が先頭に立ち猛烈な営業攻勢をかけた。
その結果、みずほBKの勘定系システムは第一勧銀の富士通製、営業店システムの端末には富士銀が使っているIBM製を採用。みずほCBは興銀が採用していた日立製がそのまま残った。3行のメンツを立てた妥協の産物だった。この最初のボタンの掛け違いが、みずほBKの開業初日からの大規模システムトラブルの原因となった。
4社のシステムベンダーが組む開発体制
11年3月11日に東日本大震災が発生し、その直後の3月14日、みずほBKで震災義援金の振り込みが集中したのをきっかけに、システム障害が発生した。給与などの振込みの遅延は最終的に116万件に上り、震災直後にお金の出し入れができないという大失態を演じた。
2度の大規模なシステム障害を起こしたみずほFGは、合併前の旧3行でポストを分け合う「3トップ制」と非効率な「2バンク制」から決別することになった。
3行が合併して2つの銀行をつくるという安易な発想が間違いだったことを思い知らされた。みずほCBは、みずほBKに吸収合併され、新「みずほ銀行」となった。
「Oneみずほ」を目指し12年、みずほ銀行の新システムの構築が発表された。新システムは、旧みずほBKのシステムベンダーである富士通、旧みずほCBの日立、旧富士銀とみずほ信託のIBMがそれぞれ分け合うことになった。これにアプリ開発のNTTデータが加わる。
旧みずほBKと旧みずほCBのシステム統合だけではなく、両行とは距離を置いていたみずほ信託銀行まで一緒にしてしまおうという一石二鳥のアイデアだ。
4つのベンダーが組んだ開発体制がスムーズにいくのかと懸念されていたが、案の定、2度にわたりシステム開発の完了が延期された。開発費は4500億円に上った。
そして18年6月、ようやくシステム移行作業に着手した。今回の移行も大規模な作業となるだけに、不具合が起きないという保証はない。
新しいシステムは、19年度に稼働予定となっている。みずほFGの経営陣は薄氷を踏む日々が続く。
(文=編集部)