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2013.07.13 13:34
2013.07.01 06:00
苦境続く00年代以降資生堂社長の歴史
資生堂は、いかにして生まれ変わったのか?ヒトとモノの仕組みを変えた池田守男元社長死去
池田が前田を起用した狙いははっきりしている。池田改革を続けることである。従来の昇格ルールに従えば、改革の火が消えるかもしれない。改革を托すことができる後継者は、前田しかいなかった。前田は経営企画室長として、池田改革の参謀だった。前田は、池田改革の第二走者としてバトンを渡されたのである。
そして第二走者となった前田が09年、次に社長に指名したのが末川久幸だった。末川も前田の参謀を務めていた。だが、同社の業績が悪化し、その後、13年に健康上の理由で社長を退任。世間的には末川が「社長を辞めたい」と言い出したことになっているが、長老連中が首を切ったのだ、といわれている。現在、再び前田が社長に復帰して苦闘中である。
●池田氏のお別れの会に2200人
元資生堂社長で5月に死去した池田守男氏のお別れの会が7月12日、東京都港区のホテルオークラ東京で開かれた。相談役だった2006年に第1次安倍内閣で教育再生会議の座長代理を務めるなど、多くの公職に就いた。頼まれれば一切断らず、公職を全うした。
お別れの会には小泉純一郎・元首相ら財界関係者など2200人が参列した。
池田氏は最愛の夫人を亡くした一週間後に急逝した。会場にも駆けつけた、親友のサックスプレーヤーの渡辺貞夫氏のCDの曲が流れる中、参列者は生前の故人を偲んだ。
(文=編集部/敬称略)
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