三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)は、4月1日付で6年ぶりに社長が交代する。三菱UFJ銀行の三毛兼承(みけ・かねつぐ)頭取が取締役から社長に昇格し、最高経営責任者(CEO)に、平野信行社長は代表権のない会長に、園潔会長は三菱UFJ銀行の会長に、それぞれ就く。
今回のトップ人事は、順当と異例が混ざり合う。銀行頭取が持ち株会社の社長に昇格するのは順当だが、グループを束ねる持ち株会社と銀行トップを分けるのが主流のなかでは、持ち株会社の社長と銀行頭取を兼務するのは異例だ。しかも、三毛氏は頭取に緊急登板して、在任期間は2年弱と短い。金融界では「平野帝国」完成への布石と受け止められている。
2年前に遡る17年5月、三菱東京UFJ銀行の小山田隆頭取が突然、辞任した。親会社のMUFG社長の平野氏から信任が厚く、平野氏の後継者としてMUFG社長に昇格すると目されていた。
MUFGの“奥の院”では、平野氏と旧三菱銀行OBの相談役らとの間で、激烈な権力闘争が繰り広げられていた。平野氏は、アジアを基盤に持つ世界的な競争力を持つ金融グループづくりを目指していた。そのひとつが、三菱東京UFJ銀行のMUFG銀行への行名変更である。現役が何をするにしても、元頭取が集まる「相談役会」に諮らねばならない。そこで否定されたら、現場が決めた方針でも否定される。
平野氏が報告に行ったところ、旧三菱銀行OBの相談役たちが「三菱という名前をなくすなんてとんでもない」と激怒。大激論の末、名称が「三菱UFJ銀行」となった。行内で一番弱い立場の旧東京銀行の名前が消えた。
金融庁からは、OBたちが経営に介入する旧態依然としたガバナンス(企業統治)の改革を命じられ、当時の小山田頭取は板挟みになっていた。その心労で倒れたといわれている。その後任として銀行頭取に就いたのが三毛氏だった。
三毛氏がMUFG社長と三菱UFJ銀行頭取を兼務する。第一線を退いたOB頭取が絶大な権力を行使するのが三菱の企業文化だ。「平野帝国」が成るかどうか、スタートの年となった。
三井住友フィナンシャルグループ
三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)は4月1日付で國部毅社長が会長になり、太田純副社長が社長に昇格する。傘下の三井住友銀行の高島誠頭取は続投する。SMFGの会長と社長、銀行頭取の3トップを旧住友銀行出身者が占める。旧住友銀行主導がより鮮明になる。
SMFGでは、本来なら持ち株会社のトップが全体の監督を担うべきところだが、グループ内で最大の収益を稼ぐ銀行頭取が実権を握ってきた。