過去には出生抑制政策
しかし、歴史を紐解けば韓国は高い出生率に悩んでいた時代があった。1960年前半までの合計特殊出生率は高く、特に朝鮮戦争が休戦に入って以降の1955~59年には6.3にも達していた。また1960~64年も6であった。1965~69年の時期の統計は手に入らないが、1970年でも4.53と日本のベビーブームと同じ水準であった。
韓国では1961年から出生率を下げるため出生抑制政策が講じられた。高出生率により子供が増えれば、その扶養のため家計貯蓄が妨げられ、ひいては経済開発に必要な資本蓄積を妨げる。当時の韓国は資本蓄積による経済発展を目指しており、出生抑制政策が導入されたわけである。この政策は1970年代から1980年代前半にかけて強められた後、1980年代後半からは逆に弱められたが、1996年まで続けられた。
合計特殊出生率は、1970年以降に大きく落ち込み、1983年には人口置換水準を下回り、 その後も出生率は下落し続け1987年には1.55となった。その後、いったんは下げ止まったが、1992年から再び下落が始まり、通貨危機以降は下落のペースに拍車がかかった。
出生率は一般的に経済発展とともに落ち込む傾向があるため、出生抑制策が講じられなくても出生率は落ち込んでいたと考えられるが、政策により落ち込みのスピードが速まったことは間違いない。韓国では2000年代に入り、ようやく出生率を高める政策を積極的に行うようになったが、効果はまったく見られない。
厳しい雇用環境や重い教育費負担
韓国の合計特殊出生率がここまで低下してしまった背景には、若年層の就職が厳しくなったことがある。若年失業率(15~29歳)は2014年に9.0%となり、2018年には9.5%と10%に迫っている。また若年層の非正規雇用比率は2018年8月時点で34.6%である。若年層は就職が難しく、就職できても正規ではない不安定な雇用環境に置かれる者が少なくない。経済的な基盤ができなければ結婚することも難しく、ましてや子供を持つことはさらに難しい。
また正規の職についても教育費の問題がのしかかる。韓国の受験競争は熾烈であり、小学生が塾を掛け持ちすることは当たり前となっている。また、英語ができなければ就職が難しいので、子供に留学を経験させることも日常茶飯事である。これでは相当な経済力がなければ子供を多く産むことはできない。
若年層の厳しい雇用環境や重い教育費負担に対し、政府はこれまで是正に取り組んできたが、解決の道筋が見えないどころか、近年さらに状況が悪化している。よって、韓国の合計特殊出生率が改善する見込みは立っていない。米朝首脳会談の陰に隠れて合計特殊出生率の歴史的な低下があまり注目されていないが、韓国経済の将来を考えればきわめて重大な動きである。
(文=高安雄一/大東文化大学教授)