猛烈な買収攻勢でLVMH帝国完成…米国を代表するラルフ・ローレン買収観測の激震
ファッション業界が従来から指摘され続けてきた複数の問題が、コロナ禍で一気に現実化した。世界中で有力企業までが経営危機や実質上の破綻に追い込まれている。米国でも、日本の百貨店が範として学んだ高級百貨店「ニーマン・マーカス」や人気アパレルブランド「J.クルー」、200年を超える歴史を誇る業界の雄「ブルックス・ブラザーズ」、ファッション好きの憧れだった「バーニーズ」などがチャプターイレブン(米連邦破産法11条、日本の民事再生法に相当)を申請した。
そんななか、業界最大の強者であるLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループにとっては、コロナ禍は歴史あるファッション企業買収のチャンスに映ったようだ。昨年1月には「ティファニー」買収が完了し、今年2月には「ラルフ・ローレン」と買収交渉を進めていると報じられた。そこで今回は、LVMHとラルフ・ローレンの間で2年にわたり続く交渉の背景と今後を考えてみたい。
1.貪欲な強者LVMHのチャンス
「カシミヤを着た狼」の異名を持つベルナール・アルノー氏率いるLVMHグループは、2020年10月に買収価格引き下げで合意し、ティファニーを傘下に収めた。その効果もあり21年12月期決算は売り上げが642億1500万ユーロ(約8兆3600億円)と前期から43.8%、19年からも19.6%伸び、営業利益は171億5100万ユーロ(約2兆2330億円)と前期から2.07倍、19年からも1.5倍と急増した。
LVMHグループによる21年の買収・投資案件を時系列にみてみよう。21年4月22日、経営が不調だった「トッズ(TOD’S)」への出資比率を3.2%から10.0%へ引き上げた。7月にはドイツ「ビルケンシュトック(BIRKENSTOCK)」の株式の過半数を推定40億ユーロ(約520億円)で買収。同じく業績低迷が続く「エトロ(ETRO)」を買収。時価総額5億ユーロ(約650億円)のうち60%の株式(買収総額390億円)を取得しグループ傘下に収めた。
また、すでに傘下のイタリアメゾン「エミリオ・プッチ(EMILIO PUCCI)」について、創業家の持ち株分すべてを買収し株式保有比率を100%へ引き上げた。将来が最も期待されているデザイナーのひとりで元「セリーヌ(CELINE)」のフィービー・ファイロ氏が、自身の名を冠した新ブランドの計画を発表。その新会社の過半数株式はファイロ氏が保有し、LVMHが新会社の少数株主となる。
さらに、LVMHは傘下のルイ・ヴィトンのクリエイティブディレクターでもあるヴァージル・アブロー氏のブランド「オフ-ホワイト(Off-White)」を買収し、アブロー氏とストリート・ラグジュアリーの新規ブランド立ち上げを計画していたが、21年12月のアブロー氏の急逝により頓挫している。
このほか、10月にはフランスの老舗総合美容専門店「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー(OFFICINE UNIVERSELLE BULY)を買収しているが、独立系のラグジュアリーブランドへの貪欲なまでの買収・投資攻勢は、何度も軋轢を生みながらも留まることを知らない。
2.82歳の創業者ラルフ・ローレンの歩んだ人生
LVMHによるラルフ・ローレン買収が報道された2月22日の米国市場では、ラルフ・ローレンの株価は最大で132.14ドル(約1万5000円)まで上昇。21年度決算では、売上高が前年比28%ダウンの赤字決算となり、株価は一時期60ドル(約6840円)台まで下落していた。
ラルフ・ローレン創業者であるラルフ・ローレン氏は、オリンピック米国チームのユニフォームを何度もデザインした米国アパレル界を代表する人物として知られている。1939年、ニューヨークのブロンクス区で、ベラルーシ系アシュケナージ・ユダヤ人の移民で家屋塗装業を営む両親のもとに生まれた。ニューヨーク市立大学バルーク校にて2年間ビジネスを学ぶが中退。64年までアメリカ陸軍に入隊し、除隊後はセールスマンとしてブルックス・ブラザーズに勤務した。
そして68年、自身のブランド「ポロ (Polo)」をスタート。自分自身をデザイナーでなくコンセプターだと言う特異なファッション企業経営者である。70年と73年に米国服飾業界で名誉の「コティ賞」を受賞。71年から婦人服をスタート。74年には映画『華麗なるギャツビー』で主演のロバート・レッドフォードの衣装デザインを担当。77年、ウッディ・アレン監督の映画『アニー・ホール』でヒロインのダイアン・キートンがラルフ・ローレンの衣装を着用し、“アニー・ホール・ルック”として米国で一世を風靡し、ブランドの快進撃が始まった。
ローレン氏は、米国人特有の英国への憧憬をベースにブランディングを図り大きな成功を収めた。本名でなく貴族的な印象を持つブランド名「ラルフ・ローレン」を彼自身も名前として使用。「ポロ」は英国では上流階級のスポーツであり、階級はないが階層社会である米国ではラルフ・ローレンを着用することが成功者を意味した。成功者の象徴ブランドとしてブルックス・ブラザーズと共に双璧をなした。
97年にはニューヨーク証券取引所に上場。その後も世界市場への進出も含め成長が続いた。日本市場では西武百貨店、オンワードとパートナーを変更しながらも成長したが、2009年には日本法人は米国の100%子会社に統一された。
15年11月、ローレン氏が社長とCEO(最高経営責任者)を退任。退任後は、事業再編成、五番街旗艦店の閉店、世界で15%の人員削減、大胆な不採算店舗閉鎖などを実施し適正な規模の模索が続いている。米国でまさにアメリカンドリームを体現したローレン氏は今年83歳となる。将来を託せる事業後継者を探しているとの噂もある。
まとめ
LVMHによるラルフ・ローレン買収案件は、意外と高く評価されている。ファッション業界の二極化が鮮明になるなか、合意の可能性は高いとみえる。過去にLVMHグループは米国のダナ・キャランを買収したのちに結果が出せずに、米国企業に売却した。米国のファッションブランドがヨーロッパで成功を収めた前例はほとんどない。米国ファッション業界は歴史も底が浅く、ラルフ・ローレンでさえヨーロッパ市場進出は成功しなかった。もし今回の買収が成功すれば、業界に新しい歴史が生れるであろう。