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百貨店からの派遣者が金融のプロに成長…JFRカード、コロナ禍でV字回復の秘密

文=松崎隆司/経済ジャーナリスト
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JFRカードの二之部守社長

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で多くの企業は今、窮地に陥っている。しかし厳しい逆風のなかでV字回復を実現した企業もある。大丸、松坂屋、パルコなどを傘下に持つJ.フロント リテイリング(JFR)グループのJFRカードだ。営業利益は2020年度の4.2億円から2021年度は12億円となる見通しだという。

 JFRカードは1988年に大丸の事業部門が独立し誕生した。当初は大丸クレジットと呼ばれた。2007年には大丸、松坂屋が経営統合しJ.フロント リテイリングが誕生したのに伴い、大丸クレジットサービスは「JFRカード」に社名を変更。松坂屋利用者向けのカードも発行し、会員数は一時急増したが、百貨店業界の地盤沈下に伴いJFRカードの収益は頭打ちの状態となっていた。

 そのようななかで18年3月、起死回生をかけ社長として招聘されたのが二之部守だった。初めてJFRカードの本社に訪れた二之部は驚いたという。

「同じ流通グループでもエポスカードやイオンカードは金融の専門家がしのぎを削り、グループの収益の柱となっている。ところがJFRカードは百貨店出身の人たちが非常に牧歌的な雰囲気で受け身の仕事をしている。生き馬の目を抜く金融業界で闘っていくためには、会社を変えなければならないと思いました」

価値観を変えたモロッコ旅行

 二之部は1981年、東京大学文学部に入学すると世界を自分の目で見てみたいとバックパッカーとして行脚した。このとき欧州、米国、メキシコとさまざまな国を回ったが、なかでも二之部に大きな衝撃を与えたのがモロッコ旅行だったという。

「私はモロッコにいったときにパスポートを盗まれたことがあったのです。そのときパニックになって途方に暮れている私に、モロッコの大学生が『だったら、うちに来ればいいじゃないか』と声をかけてくれた。それから10日ぐらいモロッコの一軒家で一緒に暮らしたのですが、その生活が正直驚かされるものでした。家族が勝手に私のカバンを開けてカセットプレーヤーを引っ張り出し、音楽を聴いているではないですか」

 実はこれはモロッコでは当たり前のことだった。貧しい地域でモノ不足なのだが、目の前に困っている人がいると誰でも助けてしまう。モノというのはみんなでシェアすればいいじゃないかという価値観なのだという。そんな世界を目の当たりにした二之部の人生観は大きく変わった。

「改めて国が変われば文化や考え方はまったく違うんだと思い知らされました」

 もっと多様な価値観に触れたい。そんな思いから就職先も日本企業ではなく外資企業を選択、大学を卒業するとアメリカン・エキスプレス・インターナショナル日本支社に入社した。1986年4月のことだ。

「日本にもいい会社はたくさんあるんでしょうが、日本の会社というのは習慣や常識でがんじがらめになり窮屈なところがある。一方で外資系にいけば周りを気にせずに言いたいことが言える。そんな環境で自分を確立したかったんです」

 ここで人事、財務などを担当し、91年5月には社内留学でニューヨーク大学経営大学院でMBAを取得、帰国後はグローバル・ネットワーク・サービスの日本と韓国のディレクター、住銀アメックス・サービス代表取締役副社長、グローバル・ネットワーク・サービスの日本・韓国地区副社長、アメックス・カード・サービス代表取締役社長などを歴任した。その後、金融とは畑違いのリシュモン・ジャパンのカルティエ・リテール本部の本部長に就任した。2007年9月のことだ。

「このころはまだ金融・決済で生きていこうという思いはそれほど強くなく、物販というまったく違う世界のほうが自分の幅を広げられると思ってカルティエ・リテール本部の本部長を引き受けました」

 しかし、金融と非金融では企業文化がまったく違う。

「物販には物があり、物を売る。しかもカルティエは時計や宝飾品などをつくっていましたから、いわば美術品をつくっているようなものです。そこには歴史があり、フランスの文化がある。時間を知りたいから時計を買うなんて人はほとんどいない。時計を買うにはプレゼントだったり、趣味だったりとそれこそ同じ商品でもさまざまな買う理由があるわけですよ。だから商品に対する思い入れは強く、ときには合理性を無視してでもいいものをつくろうとする。それはカルティエという商品だから成り立つビジネスだと思いましたし、仕事は面白かったのですが、金融出身の自分には合わないような気がしました」

 結局、この経験を通して金融で勝負しようと考えるようになる。ビザ・ワールドワイド・ジャパンに移り、ビジネスデベロップメントⅡのヘッド、ビジネス・アドバイザリー・サービス(決済・金融サービス)の代表に就任した。

アメックスは自らカード会員や加盟店と直接契約していますが、ビザはカードの決済システムを銀行などにライセンスして、ライセンスを受けた企業が会員や加盟店を獲得するというビジネスです。ビジネスモデルがまったく違いましたし、企業文化も違う。ただ、さまざまな金融機関とのパイプづくりができたという意味では非常に大きな経験になったと思います」

プロの仕事がプロパー社員触発

 そしてそんな二之部の下に新しい仕事が舞い込んでくる。JFRカードの社長だ。きっかけはヘッドハンティングだった。人材会社から、JFRカードが新しいトップを探しているという話があり、当時のJFR社長(現JFR取締役会議長)の山本良一と面談、決済・金融ビジネスを立て直すために外部からクレジットカードビジネスに精通した人材を登用したいという要請があったという。

「山本さんからは『カードビジネスをよく知っている人間に経営を任せたかったということとともに、異分子を取り込んでJFRカードを思い切って変革し、決済・金融ビジネスを大きくしてほしい』という話がありました」

 山本は以前からJFRグループ全体の経営でも、「生え抜きだけでやっていてはダメだ」と言い続け、積極的に外部の人材を登用してきた。

「外資の経験しかない私を大胆に起用しようとしていたことには本当に驚かされました」

 しかし、このとき二之部の気持ちは決まっていた。

「JFRグループはカード事業にこれまで投資をしてこなかったし、社長は歴代百貨店出身でカード事業は素人。しかし見方を変えればレガシー(先人の遺産)がないということです。すべて一から取り組むことができるので、後発者利益を得ることが可能です。しかも組織が小さいから小回りが利く。大きな可能性を感じました」

 二之部は2018年3月、JFRの執行役と兼務するかたちでJFRカードに社長に就任。最初に取り掛かったのはテクノロジーや金融がわかる人材の採用と東京の拠点開設だった。カード事業はサービスが命だ。いかに顧客が求めるサービスを提供するかが勝負のカギとなる。そのためには決済の新しいテクノロジーや金融に精通する人材をそろえておかなければ、思うようなサービスを提供することができない。さらにカード事業を拡大していくためにはテクノロジーや金融だけでなくマーケティング、広報などのプロ、さらにSNSアプリをつくれる人材などが必要だが、最先端で活躍する人材を獲得するためには東京に拠点を持たなければならない。

「JFRカードの本社は大阪と京都の中間に位置するベッドタウン、大阪府高槻市にあります。牧歌的でいい会社ではあったのですが、高槻市では若く最前線で働いているような人を呼び込むことは難しい」

 そこで二之部は東京に拠点を設置し、事業改革を進める新部隊を結集させた。

「最初は私の個人的な人脈を駆使して優秀な人材を集め、彼らが中心となって経営改革を推進してきましたが、その後、百貨店から派遣された若者たちもどんどん成長しています。最先端で活躍している人たちと触れ合うことで百貨店から派遣された社員たちも触発され金融のプロとして成長したんだと思います」

 そして二之部は新しい人材確保と並行して決済・金融事業についての新しいビジョンの取りまとめを進めた。

地域社会全体を取り込むことが大きな課題に

 その第一弾となったのが「クレジットカード」のリニューアルだった。JFRカードは長い間、大丸や松坂屋など百貨店事業の付加価値の一部にすぎなかった。そのため長い間十分な設備投資もされずビジネスモデルの転換も行われていなかった。

 しかし社会の高齢化に伴い顧客層は大きく変化している。カード事業の主要な顧客は50代が中心だが、百貨店の購買層は質の高い食品や化粧品を求めて若年層も増えている。グループ内には2012年に買収した若者向けのファッションビル、パルコもある。こうした若者層の取り組みにも力を入れていかなければ将来の成長は考えられないということから、クレジットカードのデザインを14年ぶりで見直した。

 そして業界初の縦型のカードデザインを採用、大丸・松坂屋のポイントとは別に新ポイントプログラム「QIRA(キラ)ポイント」を導入した。狙いは百貨店の顧客を取り込むだけでなく地域社会全体を取り込んでいきたいからだという。

「今までのように百貨店でモノを買ってポイントをつけるというビジネスモデルを続けていいのか疑問を感じていました。そこで百貨店の他のサービスの決済を押さえていくことで、顧客との良好な関係をつくり地域でお得なポイントをアピールしていくということが、百貨店の変遷とともに生き残っていくひとつの道筋だと思っています」

「QIRA」はポイントだけではない。オリックス・クレジットと提携して提携ローン「QIRAローン」を展開、心斎橋には保険・金融商品のコンサルティングと紹介を行う「QIRAフィナンシャルラウンジ」を開設した。

 実はJFRグループは百貨店業界のなかでもいち早くグループの改革を進め、21年4月には中期経営計画を発表。グループが保有する不動産資産を有効活用する「デベロッパー戦略」、店舗を起点としたデジタル活用で新たな体験価値を創出する「リアル×デジタル戦略」、上質なライフスタイルを楽しむ生活者への提案強化を図る「プライムライフ戦略」の3つを打ち出した。

 なかでも「デベロッパー戦略」では百貨店や小売といった枠を超え、地域全体の価値創造を図っていくことがその狙いだ。そのためJFRは大丸、松坂屋の店舗周辺のエリアと一体となった街づくりを進め、すでに大丸のある大阪・心斎橋や京都・烏丸、松坂屋のある東京・上野などではこうした取り組みが動き出しているという。

 名古屋市錦三丁目では2026年開業を目指して大型複合施設の開発を進め、名古屋松坂屋や名古屋パルコ、さらに地元商店街との相乗効果を図りながら栄地区の賑わい創出とブランド力アップを目指すプロジェクトがスタートしている。

 そしてこうした事業の中核を担うのがJFRカードだという。JFRカードはパルコ、大丸・松坂屋、カード会社の顧客データを分析、グループ全体のマーケティングに反映させていくという仕組みづくりにも力を入れているほか、コミュニケーション手段も大きく刷新した。

 ホームページを全面的に見直したほか、ヨガやウエルネス系、金融リテラシーなどの動画コンテンツを立ち上げ、情報発信にも力を入れている。さらに今後は保険代理店事業を拡大していくという。

「立ち上げたばかりなのでまだまだ先は長いと思っています。ただ道筋ははっきりしているのでやることは見えているかと思います。どうやってスピードをつけて実行していくのかが課題です」

 利用者のニーズにあったサービスを拡大していく二之部。その挑戦は続く。

(文=松崎隆司/経済ジャーナリスト)

松崎隆司/経済ジャーナリスト

松崎隆司/経済ジャーナリスト

1962年生まれ。中央大学法学部を卒業。経済出版社を退社後、パブリックリレーションのコンサルティング会社を経て、2000年1月、経済ジャーナリストとして独立。企業経営やM&A、雇用問題、事業継承、ビジネスモデルの研究、経済事件などを取材。エコノミスト、プレジデントなどの経済誌や総合雑誌、サンケイビジネスアイ、日刊ゲンダイなどで執筆している。主な著書には「ロッテを創った男 重光武雄論」(ダイヤモンド社)、「堤清二と昭和の大物」(光文社)、「東芝崩壊19万人の巨艦企業を沈めた真犯人」(宝島社)など多数。日本ペンクラブ会員。

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