「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数ある経済ジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
4月8日、茨城県の県立歴史館(同県水戸市)でメディア発表会が行われた。当日は、茨城にゆかりのある歴史上の偉人・賢人が楽しんだコーヒーを再現した「茨城ヒストリアカフェ」(1杯取りのドリップコーヒー×7種の詰め合わせ)も披露された。
県立歴史館と連携して開発したのは、サザコーヒー(本店:同県ひたちなか市)だ。同社は茨城県と首都圏に16店舗を展開する個人系チェーン店で、真摯なモノづくりと意外性のあるコトづくりが持ち味だ。本連載では、そのユニーク性に注目して、これまでも紹介してきた。地方の中小企業の発想や柔軟性が、読者の参考になると思うからだ。
今回、なぜ歴史上の人物を打ち出したのか。仕掛け人である同社会長に話を聞いた。
茨城土産として、偉人・賢人に光を当てた
「きっかけは、歴史館の山口やちゑ館長(当時、元茨城県副知事)から『県の歴史に関連したお土産品をつくりたい』と相談を受けたことです。当社は、これまでも歴史上の人物が飲んだであろう、コーヒーの味を再現してきたので、さっそく商品開発にとりかかりました」
サザコーヒーの創業者でもある鈴木誉志男会長は、こう語る。
「茨城ヒストリアカフェ」(7種類で1200円、税込み)に登場するのは、次の7人(左は商品名、右は人物)だ。商品は同歴史館やサザ本店で先行販売されている。
(1)「将軍珈琲」(徳川慶喜)
(2)「渋沢栄一仏蘭西珈琲物語」(渋沢栄一)
(3)「プリンス徳川カフェ」(徳川昭武=慶喜の弟で最後の水戸藩主)
(4)「五浦コヒー」(岡倉天心)
(5)「ローガン・J・ファクス コーヒー」(ローガン・ファクス=茨城キリスト教学園初代学長)
(6)「鷹見泉石珈琲物語」(鷹見泉石)
(7)「サムライ小野友五郎珈琲物語」(小野友五郎)
上記の(1)~(3)は同社のヒット商品で、(4)と(5)も一定のファンがいる。今回、新たに(6)と(7)を、歴史館の提供した資料なども踏まえて開発した。だが、失礼ながら鷹見泉石と小野友五郎は決して著名とはいえない。なぜこの2人に注目したのか。
コーヒーは「舌」と「アタマ」で楽しむ
「私は、コーヒーは舌で味を楽しみながら、歴史や文化を思い描いて、脳内でも楽しむ飲み物だと思っています。昔からコーヒーは、いわゆるインテリ層に支持されてきました」
鈴木氏はこう話し、この2人を選んだ理由を説明する。
「鷹見泉石は古河藩の家老で、長崎のオランダ商館や蘭学者とも付き合いがありました。鎖国時代の日本において、最先端の情報に接していたのです。当時、世界のコーヒー豆を支配していたオランダからコーヒー豆をもらい、コーヒーミルで焙煎して飲んでもいた。“蘭癖(らんぺき=オランダかぶれ)”ともいわれた人物です。
小野友五郎は笠間藩の下級武士でしたが、天文学を学び、江戸幕府の軍艦『咸臨丸』の航海長を務め、無事に太平洋横断に導いた人。維新後は鉄道建設の測量に尽力しています。官僚ゆえに目立たないのですが、幕末・明治期の日本を陰で支えた人物です」(同)
前者は、当時オランダが領有していたインドネシア産のマンデリンを軸に浅煎りに焙煎。後者は、渡米当時の米国のコーヒー事情を調べ、米国に輸入されたブラジル産やコロンビア産の豆を配合して中深煎りに焙煎した。いずれも当時の味を再現したという。
鈴木氏は、新商品の開発では“ストーリー性”も重視する。今回もその手法だ。
大河効果で大ヒット、「渋沢栄一仏蘭西珈琲物語」
史実を踏まえた商品開発で、サザコーヒーには実績がある。最近では、2021年1月に発売した「渋沢栄一仏蘭西珈琲物語」(1杯取り×5袋は税込み1000円)が大ヒットした。数字は非公開だが、一般のコーヒー店とはケタ違いの数が売れるという。
「NHK大河ドラマ『青天を衝け』で描かれたように、渋沢栄一は、幕末までは徳川慶喜に仕えた藩士。慶喜の弟で最後の水戸藩主だった昭武に随行して、1867年に渡仏しています。欧州歴訪中にコーヒーを飲んだことが日記にもあり、商品は当時のフランスで使われていたエチオピアとイエメン産のモカを用い、深煎りのフレンチローストにしました」(同)
大河ドラマも商品の売れゆきを後押しした。2021年7月11日放送の同番組では、渋沢らが滞在先のパリのアパルトマン(アパート)でコーヒーを抽出するシーンがあった。
実は、ここで使われたコーヒー器具や食器を提供したのも同社だ。番組の最後に流れるエンドロール(クレジット表記)では「コーヒー指導・鈴木誉志男」と記された。商品は大河ドラマを意識して開発したが、コーヒー指導は「たまたま依頼を受けて」だという。
「地方のコーヒー屋」の生き残り策だった
これら“歴史コーヒー”の開発に力を入れるのは、単なる郷土史の掘り起こしではない。
「地方のコーヒー屋が生き残るために、いつも大手や他店との差別化を考えてきました。コーヒーやコーヒー豆は、今でも産地や銘柄、農園別といった訴求が一般的です。そうではなく、『歴史上の人物が飲んだコーヒー』というストーリー性を持たせれば、別の魅力が打ち出せると気づいたのです。そのきっかけが『将軍珈琲』でした」(同)
2004年に発売した「将軍珈琲」(当時は「徳川将軍珈琲」)は、「サザスペシャルブレンド」と並び、同社の大黒柱のひとつだ。
商品開発の発端は、1998年のNHK大河ドラマ『徳川慶喜』の放送だ。江戸幕府最後の将軍・慶喜は、水戸徳川藩の第9代藩主・徳川斉昭(なりあき)の七男。将軍時の1867年にはフランス人の料理人を雇い、大坂(現大阪)の晩餐会で欧米の公使をもてなし、コーヒーを提供した。
商品は、この逸話を基に企画。慶喜の直系のひ孫・徳川慶朝(よしとも)氏に焙煎を依頼した話題性もあり、大ヒットとなった。濃厚な味には固定ファンも多い。
「『将軍珈琲』『プリンス徳川カフェ』『渋沢栄一仏蘭西珈琲物語』によって、歴史・物語系コーヒーの3本柱ができました。もちろん当社だけの力ではなく、たとえば時代考証では、千葉県松戸市の戸定歴史館や名誉館長・齊藤洋一氏に大変お世話になりました」(同)
「モラ」や「仮面」を飾るのは、文化の紹介
サザコーヒーの本店を訪れると、さまざまな異空間が広がる。「ギャラリーサザ」も併設されている。営業時間中なら、喫茶コーナーを利用しないお客でも無料で見学可能だ。3月21日まで開催されたのが、中米パナマの伝統品「モラ」約600枚の企画展だった。
モラは、もともとパナマ・サンブラス諸島のクナ族の女性が手縫いでつくる刺しゅうで、鈴木会長と長男の鈴木太郎社長が、コーヒー買い付けの際に購入してきた収集品を紹介した。普段は本店奥の壁にも一部が展示されている。また、本店にはアフリカの仮面も展示している。初めて訪れた人は驚くかもしれない。
「世界でコーヒーが栽培される“コーヒーゾーン”は、見方を変えれば“アートゾーン”です。そうしたコーヒー文化も伝えたいと、これまで本店ではトークショーなども数多く行ってきました。お客さまからは、『いつも何かをやっている店』と言われます」(同)
コロナ禍となり、「遠出ができないご時世だから、近くのサザコーヒーに来た」と話すお客もいた。本店は、「マイクロツーリズム」(地元・近隣観光)でも支持されるのが興味深い。
コーヒー屋として、「もてなす心」を持ち続けたい
サザコーヒーが開業したのは1969年で、今年で53年となる。創業者の鈴木会長が「伝統や文化」を掘り下げ、長男の太郎社長は「流行や意外性」を仕掛ける。
今年3月にはJR新橋駅構内に「サザコーヒー エキュートエディション新橋店」がオープンした。地上波テレビの情報番組で紹介されるなど、話題となっている。
昭和時代の個人系喫茶店は、繁盛店でも店舗の老朽化や店主の高齢化などで、のれんを下ろした例が多い。創業半世紀を超えても“血気盛ん”なサザコーヒーは、数少ない存在なのだ。
一方で、一時的にもてはやされても、その後は失速した飲食店も多い。創業者として鈴木氏は、自社の現状をどう見つめているのか。
「あくまでもコーヒー屋ですから、お客さまを『もてなす心』を持ち続けたい。飲食の味もそうですが、提供する器も、従業員の接客にも、その気持ちを込めてきました。
本店には、薪ストーブもあります。毎年、乾燥させた薪を、寒い季節になるとストーブに入れます。燃える炎は幻想的で、それがいいと手紙をくださるお客さまもいます」(同)
サザという名前は、茶道の「且座」(表千家では“さざ”、裏千家では“しゃざ”と読む)から来ており、「且座喫茶=まさに座ってお茶を飲みませんか」が由来だという。
伝統や文化をレトロモダンに訴求する。「茨城ヒストリアカフェ」もその一環だった。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)