「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数あるジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
昨年行われた東京五輪(第32回オリンピック夏季競技大会)で注目を浴びた競技のひとつに「空手」がある。もちろん、武道としての歴史は長く、愛好者も多いが、柔道のように長年五輪種目だったわけでもなく、世界選手権が地上波テレビで放送されることもない。
経験者以外の多くの人は同五輪で初めて、空手には「形(型)」と「組手」種目があることを知ったのではないだろうか。
だが空手は、かなり前から子どもの習い事として人気があった。近年は大人が通うケースも増えており、国内各地に空手道場や空手教室がある。
今回はそのなかで、メディア取材も多い空手教室を取り上げたい。伝統武道でありながら柔軟な取り組みが「成熟市場の活性化」の視点で参考になると思うからだ。
どんな活動を行うのか。顧客との向き合い方を事例で紹介しながら考えた。
コロナ禍でも、過去最高の会員数を記録
東京・赤坂のビルの2階に「空優会」という空手道場がある。開設は2012年9月で、今年10周年を迎える。東京・千葉・群馬に7つの教室を展開する空優会の総本山的存在だ。
赤坂にはテレビ局や高層ビル、高級ホテルが立地するが、一方で庶民的な側面も持つ。その庶民的な場所に同会はある。入居するビルも6階建てで威圧感はない。
コロナ前に比べて、多くの道場が会員数3~4割減といわれるなか、空優会は本部・支部合わせて会員数は約500人と過去最高人数に達した。なぜ、コロナ禍でも好調なのか。
筆者は、人気の秘密は次の3点だと思う。
(1)「伝統」は大切にしながら「敷居」は高くない
(2)昔ながらの武道イメージが少ない“ギャップ”
(3)コロナ禍の環境激変にも柔軟に対応
それぞれ簡単に紹介したい。(1)は総師範も指導員も、現役時代は多くの大会で好成績を収めており、空手道を追究する「求道者」の一面を持つ。その一方で培った技術を生かし、肩こりをすっきりさせる効果を持つ「スロー空手ストレッチ」も教える。
取材の途中、厚手のカーテンで仕切られた向こうで「伝統空手」クラスが始まったこともある。真剣な掛け声が聞こえたが、ピリピリした雰囲気もなければ、軽いノリもなかった。
幼稚園児から高齢者まで、それぞれの思いで学ぶ
「空優会は、門戸は広くしても基本の軸足は変えません。教室で学ぶのは『空手道』で、伝統空手クラスでは、技の会得を通じて『心』や『正義』――人としての正しい義も伝えます。一方、スロー空手ストレッチは、空手の形を使って全身を気持ちよく伸ばすもので、コロナ前は、朝日カルチャーセンターやNHK文化センターなどでも講座を開催しました」
総師範の髙橋優子氏は、こう話す。本人の経歴は華やかだ。2006年船越義珍杯・世界空手道選手権を制した元世界女王。現役引退後、日本空手協会総本部指導員などを経て、32歳の若さで赤坂に道場を開設した。スロー空手ストレッチも同氏が考案したものだ。
(2)は、総師範の髙橋氏が女性で、男女の指導員も30代が大半と、一般的な空手指導員のイメージとは違い、若さもある。受講する会員は幼稚園児から高齢者まで多彩だ。
同会には社会人も通う。会員には企業経営者や幹部、税理士や弁護士もいるが、普通の会社員も目立つ。女性会員は約4割。男女とも中高年から始める人もいる。入会動機で多いのは「自分を鍛え直したかった」だが、競技レベルを高めたい人ばかりではない。
会員のなかには「中年になると叱られる機会も減るが、ここは作法がきちんとしていて成長できる」と話す人もいた。
いち早く「オンライン教室」も充実させた
稽古中は年齢も社会的立場も関係ない。時には、初心者の60代の白帯が、黄帯(8級)の幼稚園児に頭を下げて形を学ぶこともある。先輩園児も「足、逆だよ」と優しく教える。若い頃から他の流派で学んだ50代の有段者は「指導員のスキルが高く、生徒の力量に応じて初心者からベテランまで、きめ細かく指導してくれる」と話す。それぞれのレベルに応じて参加できるのだ。
(3)は、最初の緊急事態宣言が出た2020年4月、いち早くオンライン教室を開始。当初は1回30分だったが、指導員が工夫して同年5月から1時間のオンラインに進化させた。同時期に大画面ディスプレー、空気清浄機にも投資。「浮遊ウイルス除去装置導入」も掲げる。
現在、空手教室は「初心者、組手、形、空手ストレッチ、空手ヨガ、イベント」などのクラスに分かれ(赤坂教室の例)、オンラインのみで参加できるコースも設けている。
また、「日本伝統空手協会」も設立し、髙橋氏が会長を務めるが、名称とは裏腹に、同会のロゴはポップなデザインだ。コロナ禍では、ロゴ入りのトートバッグも全会員に送付した。
興味を持つ人向けには「3回の無料体験」も導入。この体験を経て入会する人も増えた。さまざまな取り組みで、既存会員のフォロー、新規会員の訴求を行うのだ。ちなみに会費は、一番人気の月8回(自由に選べる)が1万1000円、オンラインのみは5500円~だという。
メディアが注目する理由は何か
冒頭で、メディア取材も多いと紹介した。ここでは「取材が多い=関心を持たれる」の視点で考えたい。良い商品やサービスがあっても、関心を持たれないと日の目を見ないからだ。
前述の3つのポイントでも触れたが、メディアが興味を持ち、世間の関心が高まるものに“ギャップ”がある。「AだからB」ではなく、「AだけどB」という視点だ。
昨年の東京五輪の柔道競技で、もっとも人気を呼んだ選手は「阿部きょうだい」だった。男子66キロ級で優勝した阿部一二三(ひふみ)氏(当時23歳)と、妹で女子52キロ級優勝の阿部詩(うた)氏(当時21歳)の2人だ。試合では厳しい表情だが、普段は今どきの若者の素顔を見せる。このギャップも注目され、民放のバラエティー番組にも多数出演した。
これを空優会に当てはめると、「女性会員の多さ」「女性の総師範」「指導員の若さ」「会員の年齢の幅広さ」など。つまり一般的な空手のイメージを、良い意味で裏切るギャップだ。
テレビ、新聞、出版が何度も取り上げる
2019年、人気ロックバンド「KISS」のベーシスト、ジーン・シモンズ氏をNHKが密着取材。同氏が日本コンサートの合間に空優会を訪れ、髙橋氏からレッスンを受ける様子も放送した。2022年2月には「スロー空手ストレッチ」が読売新聞オンラインでも紹介された。4月には『Oha4!NEWS LIVE』(日本テレビ系)で「4月から始めてみたい朝活!~早朝空手~」として放送された。
また、メディアが取材先を探す場合、ある意味で“保険”となるものが欲しい。たとえば、「過去の実績はあるか」(他のメディアでの紹介例)、「現在も活躍しているのか」(旬かどうか)などだ。メディアによく登場する飲食店なども、こうした原則を満たす例が多い。
キーワードとして「脱・汗臭さ」も大切
ご存じのように、時代が変われば世間の意識も消費者の心理も変わる。伝統を軽視するのは問題だが、伝統だけに固執すると、やがて時代に取り残されてしまう。
空手教室は武道の鍛錬の場だが、消費者から見れば「習い事」の一面もある。礼儀やしつけを重視して、子どもを通わせる親も多い。「スポーツ教室ではなく道場。高圧的ではない、一定の厳しさは必要」というのは、関係者に共通する。
ただし「脱・汗臭さ」も意識したい。ここでは、汗臭さ=キツイ・過酷な根性論的イメージ、という意味で用いた。
スポーツ用品市場を例にとると、同市場で最大規模はスポーツシューズだ。練習や試合の道具としてだけではなく、街歩きの快適性も訴求して支持が広がった。
今回の事例では、「スロー空手ストレッチ」や「ロゴ入りのトートバッグ」が、脱・汗臭さといえる。マーケティング手法として行ったわけではないが、受け手側は敏感だ。
<「子どもたちには長く続けてもらうこと」、もうひとつは「年をとって身体は衰えても、心まで一緒に衰えないように」…「いつまでも」という言葉を足しました>
空優会を設立した当時、髙橋氏は自らのブログにこう記した。
コロナ禍で海外会員のリアル体験機会が喪失するなど同会にも課題は残るが、空手という成熟市場を活性化させる例としてご参考いただきたい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)