残念ながら失敗に帰した三菱重工業による「三菱スペースジェット(MSJ)」の開発ではあったが、レガシー(遺産)と呼ぶべきものがいくつかある。8合目まで行ったといわれる型式証明取得プロセスでのノウハウも大きなレガシーであるが、ビジネスに直結するという意味で最大のレガシーは、カナダのボンバルディア社から購入したカナディア・リージョナル・ジェット「CRJ」に関する知的財産と施設設備に基づく航空機のMRO(整備・保守・オーバーホール)ビジネスである。今や三菱重工の北米子会社MHI RJアビエーショングループ(本社:カナダケベック州ミラベル、CEO:山本博章氏)は、北米を中心に世界で民間航空を支え、また、特に米国で、そのビジネスの領域を拡大しようとしている。
リージョナル・ジェット2強の一角ボンバルディア社の後継者となったMHI RJ
そもそも、本格的なリージョナル・ジェット(小型ジェット旅客機)が航空界に登場したのは、カナダのボンバルディア社が50席の「CRJ100(カナディア・リージョナル・ジェット100)」を開発し1992年にルフトハンザに引き渡したことに端を発する。CRJシリーズは全世界で大ヒットし約1900機がエアラインに引き渡された。その後、後発でリージョナル・ジェットに参入し成功したブラジルのエンブラエル社と並んで、ボンバルディア社は世界のリージョナル・ジェットの市場を2分していた。
三菱重工は2019年6月に経営不振に陥っていたボンバルディア社から、リージョナル・ジェットCRJ事業のほぼすべてを買収することを決定した。5億5000万米ドル(約590億円/当時)の巨費をボンバルディア社に支払うとともに、約2億米ドルの債務を引き受ける契約であり、その狙いは、開発中のスペースジェットのためのカスタマーサービスの拠点を北米に確立することにあった。そして、1年後の2020年6月1日に100%子会社であるMHI RJアビエーショングループを立ち上げ、事業を開始した。
スペースジェット撤退の結果、そのためのカスタマーサービスは不要となったため、購入したCRJ事業を他社に転売する選択肢もあったはずである。しかしながら、三菱重工はその選択はせずに、むしろCRJ事業を発展拡大させる道を選んだ。
CRJ型機の型式証明の継承者MHI RJ、整備と技術サポートを実施しつつも航空機製造の能力はなし
FAA(米国連邦航空局)が発行する型式証明の書面上では、CRJ型機の型式証明の保有者がMHI RJアビエーショングループである旨が明記されている(下図を参照)。したがって、その気になれば航空機の名称を「三菱リージョナル・ジェット」に変更することも可能であったはずだが、カナダへの敬意と定着したブランド名への配慮もあって、現行通りのCRJの名称を維持した。
また、型式証明の所有者ではあるものの、事業内容はアフターマーケットのサービスに特化している。すなわち、航空機のMROビジネス技術サポートと部品/補給品供給のビジネスのみを行い、CRJ型機の製造・生産を行う能力はない。このため、MHI RJ立ち上げ時点で注文が残っていた10数機のCRJの機体について、ボンバルディア社に委託して製造させエアラインに納入している。その際稼働したボンバルディアの工場も、現在ではエアバスのA220の工場となっているため、今後仮に新規発注が入っても、製造はできないかもしれない。
積極的な投資と事業の拡大、他社製のリージョナル・ジェットやナローボディ機の整備も
現在、世界で約1200機のCRJ型シリーズの機体が運航を続けており、これらを支えるのがMHI RJの一義的な役割である。カナダの本社のほか、米国、ドイツ(部品補給のみ)に拠点を持っているが、7~8割は米国で運航されるため、米国の2つの拠点(アリゾナ州ツーソン、ウェストバージニア州ブリッジポート)がメインである。経営難で設備投資もできなかったボンバルディアに取って代わったMHI RJは、特に米国で積極的な設備投資を行い、事業インフラを拡充した。ITインフラを最先端の技術に置き換えると共に、MROビジネスの基盤となる機体整備ハンガーを拡大した。ウェストバージニア州のブリッジポートでは、従来のハンガーを建て替え、2022年10月に竣工した新ハンガーにより、約9300平米の整備作業スペースの拡大がなされた。また、隣にさらなるハンガー増設も計画されている。新ハンガーでは、広さだけでなく天井の高さも拡大されているため、リージョナル・ジェットより大きなB737やA320クラスのナローボディ機(狭胴機)の整備も物理的には可能となっている。
MHI RJは事業規模を3~4倍に拡大し、数年内に売上高10~15億ドル(1500~2250億円/1ドル150円換算)規模とすることを狙っている。このため、CRJシリーズのMRO事業だけにとらわれず、事業の多様化(ダイバーシフィケーション)を図ることを経営マインドのモットーとしている。例えば、MRO事業では、ライバル関係にあるエンブラエル製のリージョナル・ジェットも対象に加えている。2023年4月にはアメリカン航空の子会社の地域航空会社ピードモント航空との間で大口の契約を結び、同社が保有するエンブラエル製のリージョナル・ジェット ERJ145(50席)の全機(50~60機)を3年間整備することとなった。
さらに、その先に狙いを定めているのが、もともとボンバルディアが開発し、その後エアバス社に権利譲渡されたナローボディ機A220型機(最大160席)の整備である。昨年から整備チームを編成しオンサイトでの整備作業を開始し、今年からはブリッジポートの新ハンガーで重整備(オーバーホール)を開始する運びである。ゆくゆくはB737やA320クラスのナローボディ機の整備も視野に入ってくる。
事業の多様化は、部品・補給品ビジネスにも及んでいる。ブリッジポートの工業団地に工場を新設し、従来はなかった部品の修理と中古部品の販売もできるようになり、CRO(コンポーネント・保守・オーバーホール)事業へとレベル・アップしている。これによる効果は絶大で、部品・補給品ビジネスでの売上は2年間で3倍増となり、MRO事業とほぼ肩を並べるレベルとなっている。
初の水素電動によるリージョナル・ジェットに秘めたる可能性
MHI RJは、2021年10月に水素燃料電池による電動航空機の開発を目指す英国(および米国)のゼロアビア(ZeroAvia)社と技術提携契約を結んだ。同社は水素燃料電池が発電する電力でプロペラやファンを回し推力を得る水素電動エンジンを開発中であり、まずターボプロップ機に装着し実用化した後、将来的にCRJ型機のジェットエンジンを新型エンジンZA 2000RJに換装し世界初の水素電動リージョナル・ジェットを実現するという構想を持っている。MHI RJはCRJの型式証明の保有者として、データ提供、技術協力、また技術認証取得のためのサポートを行う立場である。
2021年末にユナイテッド航空はゼロアビア社への資本参加を決め、また自社のCRJ550型機(50席)に装着するために、最大100基のZA2000RJ水素電動エンジンを購入する覚書を結んだ。さらに、2022年8月にはアメリカン航空も同様に投資する決定と、最大100基のZA2000RJ水素電動エンジンを発注する権利を約束する覚書を結んだ。民間航空のカーボン・ネット・ゼロに向けて、エアラインのCRJ水素電動化への期待は大きい。
ターボプロップ機ならまだしも、水素燃焼型エンジンに比べ推力が小さい水素電動エンジンでリージョナル・ジェットを飛ばすことは技術的ハードルが非常に高く、実現には時間を要し、実現できるとしても2030年代以降と考えられる。しかしながら、もし実現できれば、CRJ型機に新たな命が吹き込まれることになり、また、エンジンの換装で、MHI RJにはビジネスチャンスとなるに違いない。
M&AによりMHI RJの更なる事業拡大へ
MHI RJは、アグレッシブに事業規模の拡大を行い、民間航空での存在感を高めようとしている。特筆すべきは、同社は「ただ漫然と本業の成長を待つだけでは、大きな事業規模拡大は望めない」との認識の下、事業の多様化と新たな能力獲得のために、M&A(企業の合併・買収)を活用して事業を拡大し、ゆくゆくは航空総合メーカーとして生き残りを図ろうとしている点である。
ホンダの米国子会社であるホンダ エアクラフト カンパニー(Honda Aircraft Company)がホンダジェットを開発・製造したように、いつの日かMHI RJがM&Aにより民間航空機の開発・製造の能力を獲得した上で「Mitsubishi(三菱)」の名を冠するジェット旅客機を開発・製造する日が来るかもしれないと考えるのは、期待が過ぎるというものであろうか。
(文=橋本安男/航空経営研究所主席研究員、元桜美林大学客員教授)