西武が東証に再上場を申請したのは1月15日で、東証の承認が3月19日。そして4月23日に9年4カ月ぶりの再上場となったが、ここへ来るまでには西武と米投資会社、サーベラス・キャピタル・マネジメント(以下、サーベラス)との間で、熾烈な暗闘があった。
●崩れた、サーベラスとの二人三脚
多額の負債を隠蔽した有価証券報告書虚偽記載事件で西武鉄道が上場廃止処分を受けたのは、04年12月だった。同社は上場廃止と同時にメインバンクのみずほコーポレート銀行(現みずほフィナンシャルグループ)の管理下に置かれ、06年2月現在の西武として再スタート。この時、同社の経営再建資金として約1040億円を出資したのがサーベラスだった。西武はこの資金を元に本格的な経営再建を開始する。
この時のサーベラスの持ち株比率は32.4%。投資会社としては異例の低さだった。投資会社の場合、過半数の株式取得などの買収で子会社化し、投資会社主導で経営再建を進めたのち、頃合いを見て売却するのが通常だからだ。当時の状況を知る証券関係者は「あの頃は米投資会社の投資ブームで、サーベラスは投資案件を探すのに苦労していた。そこでとにかく西武に出資して『経営再建を助けた』実績を示し、投資先獲得のPR材料にしたかったのだろう」と振り返る。ともあれ、サーベラスの出資に西武の後藤高志社長は「単なる出資者ではなく、パートナーと評価」(同)、西武はサーベラスと二人三脚で経営再建を進めた。
だが、11年に入ると、サーベラスは西武に再上場を要求するようになる。同年6月、サーベラスは「12年秋までに上場してほしい」と、具体的に要求してきた。後藤社長は「それは早くても14年春頃と考えていたが、サーベラスの要求を無下にできないと、12年中に再上場する準備を始めた」(西武関係者)という。
これが振りだしに戻ったのは、翌年の12年3月21日だった。同関係者によるとこの日、ニューヨークへ出張した後藤社長がマンハッタンのサーベラス本社を表敬訪問。後藤社長が同社CEOのスティーブン・ファインバーグ氏と和やかに会談している最中、ファインバーグ氏がさりげなく切り出した「当社は西武再上場の株価は1株1800円から2400円が妥当と判断している。この線で検討したらどうか」の言葉に、後藤社長は驚いた。後藤社長は直ちに「株価は市場が決めるもの。我々が決めるものではない」と反論した。これが意外だったのか、気色ばんだファインバーグ氏は早々に会談を打ち切った。
それでも西武はサーベラスの要求通り、12年中の再上場を目指し、12年5月18日に東証へ株式上場の予備申請を行った。ところが、翌月8日、西武がサーベラスへ同意を求めた資本提携契約解消が、再上場紛糾の火種になった。