買収は株式交換方式で行う。イー・アクセス株式を1株、5万2000円と評価し、ソフトバンク株式、16.74株を割り当てる。買収を発表する直前のイー・アクセス株価は1万4000~1万5000円。評価額は時価の3.5倍以上になり、ソフトバンクが支払う対価は1802億円に上る。
元祖、通信業界の風雲児が、後発のライバル企業の軍門に下ったわけだが、業界では、高値で売却した千本氏のしたたかさを評価する声が圧倒的に多い。千本氏は根っからのアントレプレナー(起業家)。スポンサーを見つけては、新しいビジネスを立ち上げるのが無上の喜びなのである。
千本氏は通信業界の名物男である。これまでも新しいビジネスを次々と開拓してきた。1966年、京都大学工学部電子工学科を卒業、日本電電話公社(現在のNTT)に入社。2年後、フロリダ大学修士課程・博士課程に進み、工学博士号(電気工学)を取得した。留学中にルームメイトから「独占事業をやるのは悪だ。リスクを取って起業して競争するものこそ尊敬される」と言われたことが耳に残り、これが、ベンチャー人生を歩む原点となった。42歳のときに部下数千人を抱える部長職を最後に電電公社を退職。電電公社の民営化と通信の自由化を間近に控えた84年、京セラ創業者の稲盛和夫氏を説得して、第二電電(現KDDI)を共同で創業した。大阪のコーヒー店で、稲盛氏に新しい通信事業会社の構想を諄々と説いたのは有名な話だ。「僕がやったら、通話料金を安くできる」が殺し文句だった。第二電電の専務として、市外通話料金の大幅値下げを、実際にやり遂げた。
携帯電話時代をにらんで、90年に社内ベンチャーのDDIセルラー(現在のau)を立ち上げた。次に、「ケータイ料金は高すぎる。僕がやれば安くできる」と言って、94年にはDDIポケット(現・WILLCOM)を設立し、低価格のPHSを広めた。
だが、DDIが大企業になるにつれて、社内ベンチャーを奨励する雰囲気はなくなっていった。自分の周囲に壁のようなものができたと感じた千本氏はKDDIの副社長を退任。96年から慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授として「ベンチャー企業経営論」を教えた。だが、学問の世界にどじこもっているような男ではなかった。インターネット時代が到来するとアントレプレナーの心に火がついた。「日本のインターネット通信は高くて遅い。僕がやれば、安く速くできる」と言って、99年にイー・アクセスを設立した。新しいパートーナーとなったのが米投資銀行、ゴールドマン・サックス(GS)のアナリストだったエリック・ガン氏(現イー・アクセス社長)である。