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主要4事業で社長交代したNTT人事の正しい読み方

通信最大手NTTを掌握するのは、文系社長!?

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NTTを次の世代につなぐ人事がほしいところ。(同社HPより)
 日本最大のガリバー企業、NTTグループの主要各社のトップ人事が固まった。持ち株会社であるNTTは三浦惺社長(68)が会長となり、後任社長には鵜浦博夫副社長(63)が就く。

 事業会社のNTTドコモは加藤薫取締役常務執行役員(60)、NTT東日本は山村雅之常務(59)。「常務」が副社長を飛び越して抜擢される"飛び級"の異例人事となった。また、NTT西日本は村尾和俊副社長(59)、NTTデータは岩本敏男副社長(59)が、それぞれ社長に内部昇格をした。

 在任2年のNTTコミュニケーションズの有馬彰社長(62)を除き、主要な4事業会社で社長が交代となる。いずれも6月末の株主総会後の取締役会で正式に決定する。

 持ち株会社NTTのトップに就く鵜浦副社長は、1973年に日本電信電話公社(現NTT)に入社。99年の組織再編を経て、02年に取締役に就任。07年に常務、08年から副社長。人事畑が長く、三浦社長の懐刀として海外事業や新規ビジネスなど経営戦略全般を担当。10年には南アフリカの情報システム会社、ディメンション・データを2860億円で買収する際にも、陣頭指揮を執った。7月に始まるグループ各社の料金請求・回収業務の統合も鵜浦副社長が実現させた。これまで各社は顧客にばらばらに請求書を送り料金を徴収してきたが、今回のシステム統合により、NTTの料金徴収額は年間8兆円弱と、国内企業で最大となる。

 鵜浦氏は東大法卒の人事・労務畑出身の事務系。NTTトップの椅子には02年の和田紀夫氏(71、現会長、京大経卒)、三浦社長(東大法卒)と3代続いて人事・労務畑が座ることになる。最先端の通信技術を誇るNTTだが、経営の本流は人事・労務畑出身者だ。この流れは電電公社時代にさかのぼる。

「昭和30年代に労働運動が先鋭化。地方の電信電話局長が組合の突き上げを喰らって、次々と病に倒れた。当時、職員局長だった遠藤正介という人の発案で、大卒の若いキャリアを職員局に集めて、組合が強い地方の電信電話局長として送り込んだのが発端。ちなみにこの人は、作家・遠藤周作さんのお兄さんです」(電電OB)

 その後本社に戻った、こうした若手キャリアは、一大勢力を形成する。労務畑出身者の経営中枢への道を開いたのが、NTTの3代目社長になる児島仁氏(北大法経卒)。労働組合と太いパイプをもち"労務のドン"といわれた児島氏の下で育った和田氏が5代目社長、三浦氏が6代目社長。そして7代目の社長に同じ人事畑の鵜浦氏が就く。歴代のトップを輩出する人事・労務畑は、NTTのとびきりの出世コースとなった。

 首脳人事の最大の焦点は、NTTドコモの山田隆持社長(63)が、持ち株会社のトップになるかどうかだった。携帯電話事業を手掛けるNTTドコモは、グループ全体の7~9割の営業利益を稼ぎ出しながら、常に外様の地位に甘んじてきた。山田氏はNTT西日本の設備部長などを務めてドコモに移った技術系のホープである。「ドコモから初の持ち株会社社長誕生」が一時期、確実視され、ドコモ・プロパーの期待の星でもあった。

 官庁以上に官僚的といわれるNTTには、独特な内輪の論理がある。事務系と技術系の人事抗争を避けるため、社長は事務系と技術系が交互に就く、たすき掛けになっていた。電電公社時代からの不文律だ。和田氏、三浦氏と2代続いて労務畑出身の社長が続いたので、次は技術系に戻すべきだという声が高まっていた。