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中村芳平「よくわかる外食戦争」

危機マック、創業者は天文学的利益獲得 繁栄と没落を招いた常識逸脱の規格外経営

文=中村芳平/外食ジャーナリスト

 余談だが、筆者も生前の藤田氏には2回、長時間インタビューしたことがある。きっかけは85年頃、「活性」(学研/すでに廃刊)というビジネス雑誌で、『銀座のユダヤ人「藤田田」(日本マクドナルド社長)研究』というタイトルで1本記事を書いたからだ。記事執筆時点では藤田氏に会えなかったので、藤田氏の出身校である旧制松江高校の名簿から同級生7~8人に面談取材や電話取材して、『証言/芽吹く商才 人生はカネやでーッ!これがなかったら何もできゃあせんよ』(同誌/85年10月発行号)を6ページで書いた。藤田氏は旧制松江高校時代、バンカラで鳴る同高校の応援団長を務めていたが、その頃の写真5~6枚を掲載、また同級生の顔写真入りで記事を構成したので、藤田氏は以後この雑誌を社長室に保管し大切にしていたという。

 これが引き金になって藤田氏が社史『日本マクドナルド20年の歩み』(91年11月発行)を出版する際、広報部の久保氏(当時)を通じて「今のままでは平凡な社史になってしまうので中村さんにインタビューしてもらって、『活性』のような藤田の青春時代をテーマに記事を書いてほしい」と頼んできた。そして91年夏ごろ、新宿住友ビル(東京)の47階だったか、日本マクドナルド本社に藤田氏を訪ね、2時間ほどインタビューした。

 藤田氏は私に、いくつか大切なことを伝えようとした。一番熱心に話したのは、藤田商店を設立した50年から「旧住友銀行新橋支店で毎月5万円の定期預金を始めたこと」だった。藤田氏はマス目に漢数字(算用数字併用)で縦書きに金額の書かれた、手垢でボロボロに汚れた一通の預金通帳を見せて、「毎月の積立額は途中から10万円、その後15万円に増額して、40年間以上にわたって一度も休まずに続けている」ことを話した。

「預金は複利で回り定期預金が1億2000万円になるのに30年かかったが、2億1157万6654円(91年4月現在)になるのに10年間しかかかっていない。今後、定期預金を続けていけば1億円増える期間がどんどん短縮する。私は長男の元(藤田商店社長)に、『この貯金は私が死んだ後も100年続けてみろ!』と言っています。親、子、孫と3代にわたって続けることになると思いますが、私のように粘り強い日本人がひとりくらいいても面白いのではないか……」(同社史より)

 藤田氏は人生が「仕事×時間=能力」であることをいち早く見抜き、「定期預金を100年続ける生き方」を提案した。そういう生き方をして、「銀行からも信用があるから、日本マクドナルドの成功がある」ということを、一番伝えたかったのだと思う。
 
 筆者はこの時のインタビューを基に、400字40枚程度で『凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり 藤田田物語』を書いた。原稿は藤田氏が目を通し、A4判横組みの社史の118~127ページに掲載された。この時400字1枚の原稿料が2万円、合計80万円ほどの多額の原稿料をもらい、びっくりしたことを覚えている。

 話を戻そう。王氏によれば、藤田氏とクロック氏との合弁契約の中身は次のようなものだ。

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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