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プラズマテレビ路線に三洋の買収…すべてが裏目に

2年連続巨額赤字…パナソニック敗戦を徹底分析!

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post_985.jpgエコ住宅に未来を託す!(「パナソニックHP」より)
 3人の経営トップの時代を経て、パナソニックはこうなった。

 11月5日の東京株式市場で、パナソニックの株式時価総額が1兆円を下回った。1兆円割れはデータを遡ることができる1986年以降では初めてのことだ。06年の時価総額のピーク時から7分の1に目減りした。株価は11月1日にストップ安(100円安)と急落。5日に385円、6日に376円まで下げた。

 個人投資家の失望売りと、無配転落に伴う機関投資家の売り(無配株を持てないルールがある)が出ている。もちろん年初来の安値。37年9カ月ぶりの歴史的な安値だ。しかも、2年連続の巨額赤字は構造的なものであり、悪材料が出尽くしたという感じがまったく出てこない。このままいくと、シャープと同じように、企業継続のリスクである「継続企業の前提に関する重要な疑義」を決算短信に書き込む事態にもなりかねない。

 なぜこのような事態になったのか? 多くの媒体で検証が行われているが、今回ここでは直近に社長に就任した3人の社長の経営失策から、その原因を探っていきたい。

■中村邦夫社長の時代:プラズマテレビへの巨額投資の失敗

 中村氏は00年に社長に就任。人員削減、組織再編といった一連の改革(中村改革)を実行して業績をV字回復させた。この成功体験から発言力は絶大なものになった。気弱な、声の小さなトップから、尊大で超ワンマンなトップへと変貌していく。基本的には内弁慶だが、こうしたタイプのトップがカリスマになると手がつけられない。

 03年、プラズマテレビへの巨大投資を決断した。ここが転落の始まりとなった。当時、松下電器(現パナソニック)には「プラズマは液晶よりも画面が明るい」という、ある種の“プラズマ信仰”があった。

 パナソニックは創業者の松下幸之助に始まり、常にユーザーの声を聞くことで成長してきた。それが薄型テレビの開発ではプラズマのみに注力し、液晶にはほとんど手をつけなかった。液晶が欲しいというユーザーの声があったにもかかわらず、それを無視して、突っ走った。

 尼崎第1工場が稼動開始した05年には、社内では誰もが“プラズマ敗戦”を確信していた。日立製作所などプラズマ陣営が続々と撤退を表明する中、中村氏だけがプラズマにこだわり続けた。投じた金額は延べ6000億円を超え、大赤字を招く原因となった。撤退を決断できないトップの悲劇である。

■大坪文雄社長の時代:三洋電機の買収の失敗

 大坪氏は06年に社長に就任。中村会長のプラズマ拡大路線を引き継いだ。工場長型の実直な性格で、グローバル企業を統率していける経営者の器ではなかった。ここにパナソニックの最大の悲劇がある。中村氏は確かに優秀なリーダーだったが、優秀なるが故に、自らの失敗に気付かないふりをした。大坪氏が中村氏と同じくらい有能な経営者ならブレーキ役を果たせただろうが、大坪氏はアクセルの機能しか持ち合わせていなかった。中村に対して異議申し立てができなかった。経営者失格である。

BusinessJournal編集部

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