09年末、三洋電機株式のTOB(株式公開買い付け)を実施し、子会社化。三洋はすでに競争力を失い、経営破綻の危機に陥っていたが、両社の強みを生かせばシナジー(相乗)効果を出せると期待した。いや、盲信した。恋にたとえるなら、パナソニックの片思いだった。
しかも、三洋の強みであったリチウムイオン電池は、携帯電話やPC用で韓国・サムスン電子に完敗した。太陽電池も国内の住宅用として期待がもてるという儚い夢にすがりついた。だが、中国の政府系企業の安値攻勢に遭い、太陽電池も利益をもたらさなかった。パナソニックの期待の星・三洋は、韓国のサムスンと中国の政府系企業に撃ち落とされてしまった。
かくして三洋の買収は完全に失敗に終わった。6700億円を投じた(日経新聞は8000億円を投じたと書いている)三洋電機の買収の失敗による強烈な副作用が、多額のノレン代の発生だ。ノレン代の計上は、買収時に想定した将来の期待収益が幻に終わったことを、会社側が正式に認めたということだ。敗北宣言である。一方、三洋電機を高値(?)で売りつけた井植一族は、今ごろ高笑いしていることだろう。
■津賀一宏社長の時代
中村=大坪路線の否定から出発。経営にもしも(if)はないが、就任が1年早ければ、別の展開になっていたかもしれない
津賀氏は12年に社長に就任。「戦艦大和だ」――。尼崎のプラズマパネル工場を視察した津賀氏は、こう呟いたという。尼崎工場は、10年をかけて進めてきた「プラズマ拡大路線」の象徴だった。津賀氏は中村=大坪路線の完全否定から出発したが、就任するのが1年遅かった。もう1年早く社長になっていれば、今回の7650億円の赤字は半分に抑え込めたとの、アナリストの指摘もある。
しかし、「この分野で稼ぐ」という、次の稼ぎ頭が見つからないのが致命的だ。より根本的な原因は、パナソニックの主力製品が、グローバルな競争の壁を越えられなかったということである。薄型ディスプレーと半導体で投資を拡大したが、結局、採算に乗らなかった。
パナソニックは11年と今年、大規模なリストラに踏み切った。三洋買収に伴う敗戦処理とリストラにかかった資金だけでも11年は7640億円に上り、今年も4400億円を構造改革費用の名目で計上することになる。それにもかかわらず経営は一向に好転しないどころか、一段と悪化している。構造的に見て、まだまだ赤字が出ることから、「悪材料が出尽くしていない」とマーケットは見ている。