日本銀行が2016年2月16日にマイナス金利を導入してから1年半余り。住宅ローン借り換えが活発になるなど効果が指摘される一方で、金融機関の収益性悪化といった副作用もみられる。
マイナス金利は目新しい試みのように思われているが、この奇抜な政策のアイデアは昔からあり、戦前の大恐慌時に欧州の一部地域で短期間実施されたこともある。日本の今後を占ううえで、参考になるだろう。
「ヴェルグルの奇跡」
マイナス金利の起源は、シルビオ・ゲゼルという一風変わった人物である。
1862年にベルギーに生まれ、事業家となったゲゼルは、一時移住したアルゼンチンで経済危機を目の当たりにした。そこで金融問題への関心を深め、帰国後、金融の研究に専念する。1919年、社会主義革命で成立したバイエルン・レーテ共和国の金融担当大臣に就任するが、任期は1週間にも満たなかった。
ゲゼルは、経済が停滞するのは人々が現金を貯め込むからだと考えていた。現金保有のコストが上昇すれば経済成長は加速するはずであるとして、「減価する貨幣」という概念を提唱した。使わずに保有していると、お金としての値打ちが下がっていく貨幣である。
具体的な仕組みとして、「スタンプ貨幣」を提案した。一定期間ごとに紙幣に一定額のスタンプを貼らないと、使用できなくする。通常はお金を銀行に預けておくと一定の利子が付くのに対し、スタンプ貨幣は保有していると逆にコストがかかるから、マイナス金利と実質同じといえる。
ゲゼルは1930年に死去するが、その後、米国のアービング・フィッシャーや英国のジョン・メイナード・ケインズら著名な経済学者がゲゼルの考えを熱心に支持した。
さて、ゲゼルの死の2年後、彼のアイデアを実行に移すチャンスが訪れる。
オーストリアはザルツブルク近郊の町ヴェルグルに、ゲゼル理論を信奉するウンターグッゲンベルガーという鉄道工夫がいた。彼は町長に選出され、町が大恐慌のあおりで不況に苦しんでいた1932年8月、ゲゼル理論の実践に乗り出す。
町は道路の整備、橋やスキーのジャンプ台建設などの公共事業を始め、当時いた4300人の町民のうち1500人を雇い入れた。そして賃金の支払いのために、町独自の労働証明書といわれる地域通貨を発行する。公共事業に従事した労働者だけでなく、町長をはじめとする町の職員も給与の半分をこれで受け取った。
この地域通貨の特徴は、毎月1%減価していくところにあった。月末に減価分に相当するスタンプを町当局から購入して貼らないと、額面価額を維持できない。
地域通貨は、非常な勢いで町を巡り始める。お金を早く使ってしまえば、スタンプ代を払わなくて済むからである。失業はみるみる解消していったという。
評判を聞きつけて町を訪れたある学者は、町の様子をこう記している。
「以前はそのひどい有様で評判の悪かった道路が、いまでは立派な高速道路のようである。市庁舎は美しく修復され、念入りに飾り立てられ、ゼラニウムの咲き競う見事なシャレー風の建物である」(河邑厚徳他『エンデの遺言』<NHK出版>)
こうした成果は「ヴェルグルの奇跡」と呼ばれ、今でもスタンプ貨幣を支持する根拠とされることが多い。
「マイナス金利の歪みはリスク」
だが、これを奇跡とは呼べないだろう。
豪華な庁舎など上記のヴェルグルの描写から見て取れるのは、明らかなバブル景気である。人々に半ば強制的にお金を使わせれば、景気は一時よくなる。しかし、それは長続きしない。
経済が息長く発展を続けるには、人々が貯蓄をし、それをもとに企業家が投資をし、産業の生産性を高めなければならない。過剰な消費や公共事業はそれを妨げる。
オーストリアの中央銀行が紙幣発行の独占権を侵したとして訴訟を起こし、勝利したため、ヴェルグルのスタンプ貨幣の試みはわずか1年で幕を閉じる。もし中止されなければ、やがてバブルの崩壊に見舞われた可能性は高い。
日本に先立ってマイナス金利を導入したデンマークやスウェーデンでは、不動産価格が大きく上昇した。日本でも2020年の東京五輪後に不動産バブルが崩壊するのではと懸念されている。バブル期を超える人手不足も、失業がみるみる減ったヴェルグルの実験を連想させる。
くしくも今年7月、かつてヴェルグルのスタンプ貨幣を廃止に追い込んだオーストリア中銀は「マイナス金利の歪みはリスク」(ノボトニー総裁)と指摘した。
85年前にオーストリアの小さな町で短期間行われたよりもはるかに壮大な社会実験といえる、今回の日欧などでのマイナス金利。どのような末路が待ち受けるだろうか。
(文=筈井利人/経済ジャーナリスト)