「もう故郷に帰れないと思ったほうがいい」チェルノブイリの“いま”から学ぶ福島の未来
【今回の番組】
10月28日放送『NNNドキュメント~3.11大震災シリーズ チェルノブイリから福島へ 未来への答案』(日本テレビ系)
ドキュメンタリーは、未来を撮ることはできない。カメラを向けられるのは今、この瞬間でしかなく、現在を素材として構成するのが主だ。「今」と向き合うのはドキュメンタリーの宿命、またはドキュメンタリーならではの手法だ。そして、それこそが僕には魅力的に見える。『NNNドキュメント~3.11大震災シリーズ チェルノブイリから福島へ 未来への答案』は、通常の30分枠ではなく55分枠として放送されていることからも、制作者の並々ならぬ狙いが感じられた。そして、その予感は当たった。僕は見終えた時、これはテレビだからこそ制作が可能なドキュメンタリー番組だと思った。
番組はまず、ウクライナのスラブチチ駅の様子を映す。早朝、多くの人々が電車を待っている。27年前にはなかったこの駅は、チェルノブイリの原発事故の2年後、突貫工事で町がつくられたのに伴ってできた。50キロ離れた仕事場に、ほぼ全員が向かう。原発の廃炉工事のためだ。車窓の風景が異様だった。放射性物質の付着を避けるために松は皮が剥ぎ取られ、全滅した白樺の林や、強制移住で捨てられ廃墟となった家は、まるでホラー映画の舞台のよう。
カメラマンは手にしたガイガーカウンターを映す。チェルノブイリ原発に近づくにつれ、数値が上がる。ここでは2700人もの人々が働いているという。駅に改札口はないが、出口にあるゲート型の体表面モニターの前を通ることになる。ここで放射能汚染がないかをチェックするのだ。汚染があればゲートは開かない。まるでSF映画のような光景だが、これは現実だ。そして、番組はチェルノブイリを通して日本を問うのだ。
事故から27年たったチェルノブイリに、福島の未来を重ねる
科学ジャーナリスト倉澤治雄が、事故を起こした4号機の前に立っている。彼は福島の原発事故後、日本テレビのニュース番組で解説をしていたので僕もよく知っている。番組は彼の視点を通してチェルブイリの「今」を記録する。
石棺で封じ込められた制御室に入ると、事故直後から時間が止まっているかのようだ。人間たちは溶けた核燃料を封じ込めることしかできなかったのだ。だが、汚染水は漏れ続け、年間1000トンは行方がわからないという。
ここで思い出されるのが、今も続く福島の汚染水問題。番組は自局で放送されたニュース映像を挿入し、チェルノブイリと福島をリンクさせた。つまり、福島の27年後を映し出そうというのが本番組の狙いなのだ。冒頭にも書いたように、ドキュメンタリーは未来を撮ることはできない。しかし、過去に起きた事例を基に、未来を探ることは可能だ。福島の未来を知りたければ、チェルノブイリと向き合うべきだとして、両者を重ね合わせる驚くべき手法。特別に入場が許可された施設で、放射線量を分単位でチェックしながら撮影を続けるスタッフと倉澤氏のレポートに覚悟を見た。
原発作業従事者を素人同然のまま現場に送り込む東電
スラブチチには、原発施設で働くための訓練センターがある。ここで国家試験を受け、合格しないと収拾作業に携わることはできない。試験を受ける人の多くは、給与が目的だ。ロシア語と英語で作成された問題は、専門知識がなければ解くことができない。倉澤氏も挑戦したが、不合格だった。
チェルノブイリで働く人々には女性も多く、服装もごく普通だ。彼らは除染されている場所とそうでない場所とを理解しているし、知識があるからこそ過度に恐れない。しかし常に心理テストを受けて、自分の心の弱さとも向き合う。人為的なミスが事故の原因となることがわかっているからだ。
一方、原発事故後に福島第一原発で働いたことのある作業員に話を聞くと、彼らはごく簡単な説明を受けただけで作業をしていたという。東京電力が用意したテキストには可愛らしいイラストで作業工程が描かれているが、逆に恐ろしい。素人同然の日本の作業員は、線量オーバーで働けなくなり「東電から『被ばくするだけすればいい』と言われているように見受けられた」と告白する。
チェルノブイリから避難させられた人が「福島の人も、もう故郷に帰れないと思ったほうがいい」「新しい人生を始めなさい」と言っていた。彼らはいつか帰れることを信じて27年過ごしてきたが、もうあきらめている。チェルノブイリは過去の出来事ではない。現在も進行中であり、世代を超えて解決しなければいけない問題だ。それも、世界が注視する中で。
番組は安倍総理が「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲の中で完全にブロックされています」という報道映像で終わった。27年前の出来事の悲惨さと、人間の無力さを見せつけられた後に、この言葉を聞いても虚しさしか感じられない。
つくり手の強いメッセージと共に、テレビの底力を感じた。
(文=松江哲明/映画監督)