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『コード・ブルー』、「スパルタ」山Pのあり得ないセリフ&過剰演出がドラマぶち壊し

文=西聡子/ライター

リアリティ皆無の設定、突っ込みどころ満載の展開

 横峯の成長物語に終始していた第2話。意図は分かるが、あまりも横峯がドジッ子過ぎて、まがりなりにも救命救急を希望した候補生がここまで失敗するか? と過剰演出が気になってしまった。横峯をスパルタ教育する藍沢の姿も、さすがに患者の前でこの発言はいかんだろと突っ込みどころ満載。また、冴島の妊娠エピソードを盛り立てる役割で登場した親子もただの道具で終わってしまい、主要人物の葛藤ではなくサイドストーリーばかりが膨らんでしまったような印象。今回はあらすじ紹介がダラダラと長くなってしまったが、あらすじが簡潔にまとまらないドラマは、決まってストーリーが散漫である。

 第1話では脚本家が林宏司から安達奈緒子に変わったことで懸念された質の低下は、そこまで感じなかったが、第2話で急に脚本の粗が目立ち始めた。ストーリーを展開させることに気を取られていろんなエピソードを盛り込み過ぎ、視聴者が一番見たい主要メンバーの深いところが見えてこない。新人フェローがドジ過ぎてリアリティも感じられない。『コード・ブルー』ファンの怒りも沸々と湧き上がってしまっている。

『コード・ブルー』は海外ドラマのパクリと一部で批判されているが、三谷幸喜の人気作『古畑任三郎』も『刑事コロンボ』から発想を得ているし、タランティーノ監督も日本映画をパクリまくっていると公言している。刺激を受けた作品の要素を取り入れて、自分の中で昇華させて更に素晴らしい作品を作り上げることは何の問題もないと個人的には思っている。

 ただ、既存作品の要素を取り入れたら、そこから熟成させるのは作家や監督の仕事である。発想をいただいた上に、熟成させずに中途半端に仕上げたものを「私の作品です」と世に出せば、突っ込まれるのは当然だ。そういった意味でも、『コード・ブルー』は脚本の手抜きが許されない作品。一度「あれ?」と思うと、見る目が厳しくなってしまうので、あら捜しをしないで済むぐらい物語に引き込ませる脚本を求めたい。
(文=西聡子/ライター)

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