また、2011年に自殺した自民党都議は、「これは全マスコミに発表して下さい。Aを許さない!! 人間性のひとかけらもないA。来世では必ず報服(原文ママ)します! 御覚悟!! 自民党の皆さん。旧い自民党を破壊して下さい」という壮絶な殴り書きを遺書として残している。「報服(報復)」という言葉に、すさまじい復讐願望がにじみ出ている。
そもそも、自殺するのは、ほかの誰かに対する怒りや攻撃性が反転して自分自身に向けられるからである。たとえば、フランスのベネゼックは、「自殺は、自分自身に反転したサディズムのしるし」であり、「ほかの誰かを殺そうとする意図なしに自殺することはあり得ない」と述べている。また、グットマッハーも、「自分自身の殺害は、憎しみの対象である誰かを象徴的に殺す行為」と述べている。
つまり、ある人物に対して殺したいほど怒っており、復讐したいとも思っているが、そのための有効な手段が見つからないので絶望し、自殺することによって復讐しようとするわけである。
罪悪感が希薄な相手に対する復讐
ただ、自殺によって復讐できるかどうかは、相手がどれだけ罪悪感を覚えるかによるところが大きい。30年近く前の話だが、知り合いの女性精神科医が自宅マンションで首を吊って自殺した。彼女の夫も精神科医だったが、勤務先の同僚だった女性医師と不倫関係にあったようで、それを知って絶望したらしい。
そのため、彼女の両親が怒り心頭で、遺骨を婚家と実家のどちらの墓に埋めるかで、かなりもめたという。もっとも、彼女の夫は三回忌を待たずに不倫相手と再婚した。その後一緒にクリニックを開業し、かなり繁盛していると聞く。
彼女の夫に学会で久しぶりに会ったとき、「うちのクリニックは本当に儲かっている」と自慢そうに話すのを聞いて、罪悪感が希薄な印象を受けた。自殺した女性精神科医の両親は、かつての娘婿の再婚とクリニックの成功を一体どんな気持ちで眺めているのだろうと思わずにはいられなかった。
TENNさんのスマートフォンに残されていた、上原さんと不倫相手とのLINEでのやりとりや2人で写った写真などを、TENNさんの遺族が公開したことは、今年5月に演出家との熱愛を「フライデー」(講談社)で報じられた上原さんがTENNさんとの婚姻関係を法的になくしたことと、無関係ではないだろう。
三回忌がすんだとはいえ、新しい恋に踏み出した上原さんがTENNさんの自殺にそれほど罪悪感を抱いていないように、遺族の目には映ったのではないか。
他人の自殺の原因をつくってしまった人が、いつまでその十字架を背負わなければならないのかについて、明確な規定があるわけではない。もちろん、一生背負わなければならないわけでもない。ただ、自殺の原因をつくったように見える人物が罪悪感から解放されて幸せになっていくのを、自殺者の遺族が耐えがたい思いで眺めるのは、人間の心理として当然だろう。
こうした悲劇を繰り返さないためには、パートナーを裏切らないことが何よりも大切だ。人間だから、ついつい欲望に負け、裏切ってしまうこともあるだろうが、そういう場合は心から謝罪し、できるだけの償いをすべきである。
(文=片田珠美/精神科医)
【参考文献】
Bénézech, M. : Dépression et crime. Revue de la littérature et observations originales. Annales Médico-Psychologiques. 1991;149(2):150-165.
Guttmacher, M. : L’homicide et le suicide. In La Psychologie du meurtrier. Presses Universitaires de France. 1965