“気がついたら亡くなっていた”は不幸なのか「家族揃って死の宣告」が理想とされる違和感
“死の瞬間”に立ち会いたがる日本人
しかし、そもそも“その瞬間”とはなんでしょうか。
現代の多くの人がイメージする臨終シーンは、病院で装着されている心電図モニターの波形が線状になり、「ピッピッ」という音が「ピッー」と変化するその瞬間でしょうが、実は在宅看取りでは、その瞬間が明確に示されるわけではありません。
医学・法律上、○時○分を境目として「死」の瞬間は明示されますが、単に制度上明確にしておいたほうがよいからそうしているだけで、死の定義が昔から一定だったわけではありません。
ある人のブログで、このような文章がありました。
「近年、介護施設で看取りをするケースが増えています。しかし、介護施設はギリギリの人数で仕事をしているので、巡回のときに『気が付いたら亡くなっていた』ということがほとんどです。(中略)私に言わせれば、こんなのは看取りではないと思います」【筆者が一部改変】
「ほとんど」と断言してしまうのはどうかと思いますが、確かに介護施設では、「様子を見にいったら亡くなっていた」とうケースは少なからずあります。だからといって、死の瞬間に立ち会えなかったからそれが即「看取りではない」といえるでしょうか。死の瞬間は、そんなにきれいに線引きできるものなのでしょうか。
ある医療法人がまとめたターミナルケアに関する手引きの中にも、「家族が納得するための心構え」として以下のようなことが書かれています。
「突然死に備える」「良好な関係性を保つ」そして、「死に目にあえるよう支援する」。
前述の九州がんセンター緩和ケアチームによる研究によると、入院患者のうち、臨終の立ち会いを希望している家族は90%以上と確かに多いのですが、そのうち実際に立ち会えた家族は79%だそう。フランスの研究では、34%程度しか家族の臨終時の立会いがないのだそうで、その事例と比較する形で、「最期を見届けることを大切にする日本の文化的背景がうかがえる」と同チームは分析しています。
死者を生きている者として扱う通夜
昔は、現代のように死の定義が明確ではなく、死の判定も明確ではありませんでした。そのため、死者の霊を慰めるとともに、死者の復活を願って、一定期間は喪屋に安置し、死者を「生きているかのように扱う」殯(もがり)という風習が地域によっては見られたものです。このが殯(もがり)が、現代の通夜の原型だともいわれています。
今でも、インドネシアのスラウェシ島の中部に住むトラジャ族には、死後数カ月にわたって行われる殯(もがり)のような習俗が見られるといいます。トラジャでは、死者の葬儀を終えるまでの数カ月もの間、まだ病人として扱い、同じ家の中で暮らします。村で行われる盛大な葬儀を終えたのちに初めて、死者として認められるわけです。
『葬儀概論』(表現文化社)の中で、著者で“葬送評論家”の碑文谷創氏は、「現代では死を<点>で判断するとすれば、古代において死は<プロセス>であったということができます」と記しています。
看取りは点ではなくプロセスである
生と死にかかわる専門家には、その役割を遂行するための専門知識や技術が求められることはいうまでもありません。しかし死はプロセスであり、生と死は連続しているものであると考えるならば、生と死の間に境界は決められるものではないのかもしれません。
医療・介護側が主催するセミナーに行くと、「看取りまでのプロセス」「尊厳ある最期を迎えるために」等、しばしば死を“着地点”として議論が進められます。
葬送関連業者や寺院が主催するセミナーでは、「臨終を告げられたら」「死者を尊厳あるものとして扱う」等、死から始まる一連の葬送儀礼について語られます。これでは、生と死はいつまでたっても互いに交わることができないままです。
終末期ケアのことを「ターミナルケア」と表現します。ターミナルとは、ラテン語で境界を意味するテルミヌスを語源としているそうです。つまり、ターミナルケアは、「この世」と「あの世」の境界のケアという意味なわけです。
この世からあの世への橋渡しをする役割を担うのがターミナルケアチームであるなら、医療・介護だけではなく、葬送・供養もチームメンバーとして加わり、ターミナルをプロセスとして捉えていく必要があるのではないかと感じています。
(文=吉川美津子)
【プライバシーに配慮しすべて仮名とし、個人や施設が特定されないように一部変更して紹介しています。】