女優の剛力彩芽さんが、自身のインスタグラムを更新し、過去の投稿を「すべて削除」すると発表した。剛力さんは、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイの前澤友作社長と一緒にサッカーW杯ロシア大会の決勝戦を観戦したことを示す投稿をしていた。しかも、前澤社長のプライベートジェットで行ったことが明らかになり、「ファンへの配慮がない」「浮かれている」などと批判を浴びていたので、それへの対処だろう。
剛力さんは今年4月に前澤社長との熱愛を報じられ、本人も交際を認めている。そもそも清純さを売りにする20代の女優が交際を宣言すること自体、異例だが、剛力さんは前澤社長の仕事の現場にまで姿を現すこともあり、あまりの熱中ぶりに心配の声があがっているようだ。
剛力さんの所属事務所であるオスカープロモーションは、所属タレントの25歳までの恋愛禁止を公言しており、タレントの恋愛に厳しいことで知られている。これまで熱愛スキャンダルなどなく「優等生」だった剛力さんが、突然前澤社長との恋愛に夢中になり、ここまで入れこんだのは、なぜなのか? また、世間やファンから批判を浴びることが容易に想像できるにもかかわらず、その熱愛ぶりを自身のインスタグラムで公開したのは、なぜなのか?
ほれこみ
剛力さんの現在の精神状態を一言でいえば、「ほれこみ」である。「ほれこみ」には、恋愛対象の「過大評価」がつきものだ。この「過大評価」によって「愛の対象にたいしてある程度批判力を失ってしまって、その対象のすべての性質を、愛していない人物やあるいはその対象を愛していなかった時期に比べて、より高く評価する」とフロイトは述べている。当然、「批判は沈黙し、対象がなすこと欲することは、すべて正当で非難の余地がないものになる」。
批判力を失うと、どうしても相手を理想化しやすい。だから、「あばたもえくぼ」という言葉通り、相手の欠点は目に入らず、むしろ長所のように見えることさえある。そのため、恋愛の真っ最中は判断をあやまりやすい。恋が冷めてからしまったと思った経験は、誰にでも多かれ少なかれあるだろう。
前澤社長は、結婚歴はないものの子どもが3人いるうえ、ダルビッシュ有投手の前妻の紗栄子さんをはじめとして複数の女性との交際が報じられてきた。そのせいか、「女たらし」「手に入れることにしか興味がない」といった批判もあるようだが、そういう批判も、現在の剛力さんの耳には入らないはずだ。いや、それどころか、「女性にモテるのは、やり手で魅力的だから」と剛力さんが思っている可能性さえある。
たしかに、一代で株式時価総額約1兆円ともいわれる企業を築いた前澤社長がやり手であることは間違いないが、女性を惹きつける一因がお金の力であるようにも見える。それが世間の反感を買う最大の原因なのだろうが、そんな反感などものともせず、「出る杭は打たれる、ということなので、出過ぎた杭は打たれない、ってなるまで出てしまおう」とツイッターで言い放った前澤社長に、批判力を失った剛力さんは一層ほれこんだのではないか。
ほれこみと催眠の一致点
批判力を失うという点では、ほれこみは催眠に似ているとフロイトは述べている。そして、両者の一致点として、「隷属、従順、無批判」を挙げている。この3つが愛の対象に向けられるのがほれこみ、催眠術師に向けられるのが催眠というわけである。
たしかに、恋に落ちると、まるで催眠術にかかったかのように、相手が何を欲しているのかしか考えない。自分自身の自主性が相手に吸収されてしまったように感じることさえある。現在の剛力さんについて明石家さんまさんは「呪いにかかったように浮ついて」とコメントしたが、これはほれこみと催眠が非常に近いことを見抜いた指摘だと私は思う。
このような状態になりやすいのは、自分自身が弱っているときである。剛力さんも、ドラマが低視聴率続きだったにもかかわらず、主演ドラマが続いたせいで、「事務所のゴリ押し」「低視聴率女優」などと報じられていた。そのうえ、2016年頃からは深夜ドラマ出演が増えて「深夜落ち」とも報じられたので、ちょっと弱っていたのかもしれない。そういうときに、成功者で、自分の望むことはお金の力で何でもかなえてくれ、プライベートジェットまで所有している男性が目の前に現れたら、催眠術にかかったように恋に落ちるだろう。
もっとも、世間からいくら批判されても、この2人が最終的に結婚して幸せになれば、めでたし、めでたしである。ただ、前澤社長は「結婚はしない主義」と公言しているので、剛力さんと本当に結婚する気があるのかと疑わずにはいられない。もし、遊ばれて捨てられるような事態になれば、これまで「優等生」で、恋愛に免疫のなかった剛力さんは立ち直れないほど深い傷を負うのではないかと危惧する次第である。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
ジークムント・フロイト「集団心理学と自我の分析」(小此木啓吾訳『フロイト著作集6 』人文書院)