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映画『はざまに生きる、春』監督と精神科医が語る、ASDとADHDの“リアル”【前編】

宮沢氷魚が演じた“ASD画家”のリアル…発達障害当事者は“変わる”ことはできるのか?

構成=斎藤 岬
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映画『はざまに生きる、春』主演の宮沢氷魚(写真右)と小西桜子(写真左)

 今年5月に公開された映画『はざまに生きる、春』が話題を呼んでいる。同作は、雑誌編集者の春(演:小西桜子)が仕事を通じて出会った画家・屋内透(演:宮沢氷魚)に徐々に心を傾けていく様子を描いたラブストーリーだ。「青い絵しか描かない」透は、感情を隠さず嘘をつけない発達障害の特性を持つ。人の顔色をうかがってばかりの春にはそんな彼の姿が新鮮に映るが、距離が近づくにつれてもどかしさも生まれていく――。

 監督・脚本を務めたのは、これが商業映画デビュー作となる葛里華監督。発達障害の特性を持つ人物との恋愛をテーマにした作品をつくることは、かねてよりの念願だったという。本作を、発達障害に関する多数の著書を発表している昭和大学附属烏山病院病院長・岩波明氏はどう見たのか? 2人の対談を、前後編の2回にわたってお届けする。

【後編はこちら】

岩波明(以下、岩波) 『はざまに生きる、春』は葛監督のオリジナルだそうですね。映画全体のトーンがどこか明るくて、ポジティブな雰囲気が非常によいと思いました。どういうきっかけから、こうしたASD(自閉症スペクトラム障害)らしき登場人物を中心にした作品にしようと考えられたのでしょう?

葛 里華(以下、葛) いちばん大きな理由は、私がこの映画を撮る5年くらい前に、発達障害を抱える方に恋をしていたからなんです。そのとき私は「発達障害」という言葉すら知らなくて、ただ彼とコミュニケーションを重ねる中で「なんだかすれ違いが多いな、私が言った言葉はちゃんと伝わってるのかな?」と感じることが多かったんですね。彼が私のそういう心中をくみ取ってくれたのかはわかりませんが、「自分は発達障害で、障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳)も持っている」と説明してくれました。そこで初めて発達障害のことを知って、それからいろいろ勉強を始めました。

 その中で、自分が調べた限りではありますが、発達障害当事者の方を取り上げた作品はたくさんあっても、その当事者と関わる周囲の人間のほうにフォーカスした作品はあまり見つけられなかったんです。当時の私はかなり悩んでいたので、そういう人たちの希望になって寄り添えるような作品をつくりたいと思うようになりました。

岩波 彼とのすれ違いというのは、具体的にはどんな感じだったんですか?

 言葉の受け取り方の違いはたくさんありました。「この場所に行きたい」と言ったとき、私は「あなたと一緒に行きたい」という意味で言っているんですが、彼は「葛さんはこの場所が好きなんだな」と思って、ひとりでそこに行ったときに写真を撮って送ってくれたりするんです。「そうじゃないけど、うん、ありがとう!」みたいな……(笑)。LINEのやり取りひとつとっても、「全然通じてないな」と思うことが日常茶飯事でしたね。「葛さんは非言語的コミュニケーションを求めたがるけど、僕はそれはわかりません」という話を何度もされました。

岩波 まさに、発達障害の教科書にあるようなやりとりですね(笑)。

 ただ、彼は自分の障害に自覚的で、その特性とも比較的うまく向き合っていて、他者に対して自分をどう説明したらいいかを体系化しているタイプだったと思います。それで私にも一生懸命伝えようとしてくれているんだけど、私のほうがどうしてもわからない、と戸惑ってしまう……いうことがよくありましたね。

岩波 それだけのすれ違いがありながら、それでもその方に惹かれていたのはなぜだったんでしょう? それは、映画のヒロイン・春さんの心情に通じる部分だと思うのですが。

 彼にしかない世界を持っている人で、私はそこに、すごく魅了されていましたね。それに、さまざまな意味で、自分にとってそこまで予想外のことをしてくれる人と出会ったのはそれが初めてだったから、というのも大きかったと思います。

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発達障害の特性として、思ったことをストレートに口にしてしまう、宮沢氷魚演じる画家の屋内。

「自閉症スペクトラム障害」当事者は、“人間を見ていない”?

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屋内との恋を通して、戸惑いながらも変わっていくヒロイン・春役を小西桜子が熱演。

 発達障害」は、脳機能の発達に関連する障害の総称である。障害の特徴は多岐にわたるが、よく知られているのは「自閉症スペクトラム障害」(ASD/Autism Spectrum Disorder)と「注意欠如多動性障害」(ADHD/Attention-Deficit Hyperactivity Disorder)の2つだろう。

 ASDには、対人関係や社会性に障害を持つ「アスペルガー症候群」や、言葉の発達の遅れがあったり行動に強いこだわりを持つ「自閉症」が含まれる。「連続体」を意味する「スペクトラム」が示すように、ごく軽症のものから重症まで、さまざまなレベルの人が広汎に分布している。

 一方ADHDは、「注意欠如多動性障害」という和名にある通り、不注意や多動、衝動的な行動をとりやすいといった特性を指す。ひとりの人が重複する特性を併せ持つ場合も多い。

 いずれも生まれつきのものであり、成人になってから発症するものではないが、近年メディアで「大人の発達障害」がよく取り上げられているように、社会生活を送る中で困難が生じるケースは多い。ことにASDの特性を持つ人はコミュニケーションを苦手とし、対人関係で苦労しがちだ。その一環として、恋愛の局面においても相手の気持ちを察することができずに失敗したり、距離感をつかめずにトラブルになってしまったりすることがある。

 また、恋愛における発達障害当事者のパートナーが、当事者である相手とのコミュニケーションがうまくとれず、そのストレスから心身に不調をきたす「カサンドラ症候群」の存在も知られるようになってきた。「症候群」とはいえど、精神医学上の診断名として確立されているものではないのだが……。

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岩波 専門的な話になりますが、ASDの研究で、患者さんの視線の動きを調べるというものがあります。アイトラッカーという機器を使って、何をどう見ているか計測する。目の前に人物がいたときに、健常者ならば当然、その人物を見ます。相手の顔を見て目を見て口を見る。

 ところがここで面白いのは、ASDの方は、人物と背景とをそんなに区別しないんです。目の前の人物を風景の一部のように見ているし、人を見たとしても、目はあまり見ない。

 映画を撮るにあたって当事者の方々に取材をさせていただく中で、「人の顔の認識が苦手」という方は多いと感じました。

岩波 そうなんです。「関心が人間に向いてない」という特性はとても強い。でも、当然ですが人を好きにはなるんですよね。いわゆるラブストーリー的な恋愛はなかなか難しいけれど、相手のことを好ましく思う感情は確実にあります。

 劇中で、春ちゃんが透くんに「人を好きになったことはあるんですか?」と聞きますが、取材の中で当事者の方に同じ質問をしていたんです。「もちろんありますよ!」という方が大半でした。どういうところを好きになるかはもちろん人それぞれなんですが、「この人のこの仕草がすごく好きだから、全部好き」というようなことを言う方がいたんですね。私の感覚からすると、「それだけで相手の全部を好きになる!?」という感じもあって……。そういう意味ではむしろ、発達障害の方のほうが「愛が深い」という見方も可能なのかなと。

 逆に、話を聞く限りでは確実に相手のことを「好き」なのに、その気持ちを「好き」という感情の定義に結びつけられなくて、「自分は人を好きになったことはないかもしれない……」ととらえている方もいると思いました。何をどう好きになるのか、そういう部分ももっと知りたいと思っています。

岩波 本当にいろいろなレベルがありますよね。恋愛に限らず対人関係がすごく苦手で、人に話しかけることさえほとんどしない方もいます。葛監督がおっしゃったように、そういう恋愛感情はあるのだけれどそれをうまく表現できなかったり、当事者なりに表現しようとしたら、つきまとい、ストーカー行為のようになってしまい、むしろ相手に迷惑をかけたりするケースも往々にしてあります。

 逆に、珍しい例としては、私どもの病院の作業療法士の女性が、通院されているASDの男性と結婚された、ということもありました。男性の障害のレベルとしては軽度で、当初は患者さんだったのが、それが縁で病院の障害者雇用枠で働くようになった方なので、まあ、結果として職員同士の恋愛ということになりますね。お互いにゲーム好きだった、というところで意気投合して親しくなったそうです。その後、お子さんも生まれて円満に暮らしておられます。

 素敵な話ですね。

岩波 僕が多く見ているのは、パートナー関係がうまくいかなくなってから病院に来るケースですね。いわゆるカサンドラ症候群的な訴え。これはだいたいパターンが共通していまして、女性が男性を「この人は発達障害か何かに違いないから、しっかり治してもらいたい」と無理矢理引っ張ってくる……というケースです。

 何を言っても相手がちゃんと聞いてくれなかったり、あるいは全然話が通じなかったりと、一方通行のコミュニケーションを「こういうものだ」と思って何十年も我慢していたけれど、ニュースなどで発達障害のことを知った女性側が、パートナーを病院まで連れてきて受診にいたる、という。典型例としては、中高年のご夫婦。

 で、診察すると、単に夫婦仲が悪いだけの場合もあるし、配偶者の男尊女卑的なパーソナリティの問題であったという場合もあり、全部が全部、女性側の見立て通りに「うちのだんなは発達障害だった」というわけではない。もちろん、診察してみたらASDだったりADHDだったり、というケースも多いのですが。

 そういう場合、先生がアドバイスをされるのは、当事者の方なのかパートナーの方なのか、どちらなんでしょう?

岩波 当事者らしき人が男性で、奥さんがその人を病院まで連れてきたという場合、当然、カルテ上の患者は男性の側なんですよ。「カサンドラ症候群」というのは状態というか、一般名称であって、医学的な疾患名ではありませんからね。で、男性の側がそこではっきりとASDあるいはADHDだと診断がついたら、当事者にもその特性を説明して、「怒っている相手の女性にはどういう対応をしたらいいのか」というようなことを話したりもしますね。

 まあ、ちゃんと病院に来るような方は、その時点である程度観念しているという側面もあり、わりと受け入れてくれますね。薬物療法でそれなりにうまくいくようになった人もいれば、奥さんのほうがやっぱり「もう無理!」となって、その後、別居や離婚にいたってしまう方もいます。まあ、本当にいろんなケースがありますね。

「一度決めたことを変えるのが難しい」ASDの“特性”

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葛 里華(かつ・りか/写真左)
1992年、愛知県生まれ。慶応義塾大学に入学後、映画サークルに所属し、映画制作を開始。同大理工学部を卒業後、出版社に勤務。マンガ編集者として働くかたわら、映画製作も続け、2019年には監督・脚本・編集を手がけた『テラリウムロッカー』を制製作する。同作はカナザワ映画祭を始め、MOOSIC LAB 2019や知多映画祭など多くの映画祭に入選。初の長編作であり脚本も務めた『はざまに生きる、春』は、商業映画デビュー作ともなった。

岩波 明(いわなみ・あきら/写真右)
1959年、神奈川県生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。都立松沢病院などで精神科の診療にあたり、現在、昭和大学医学部精神医学教室主任教授にして、昭和大学附属烏山病院の病院長も兼務。近著に、『精神鑑定はなぜ間違えるのか?~再考 昭和・平成の凶悪犯罪~』(光文社新書)、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(診断と治療社 )などがあり、精神科医療における現場の実態や問題点を発信し続けている。

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岩波 監督がお好きだった彼は、監督と交流する中で、少しは変わっていきましたか?

 少しずつですが、変わりはしましたね。ただ、私も当時はまだ本当に若くて人間ができていなかったせいもあり、「なんでわかってくれないの!?」みたいになってしまいがちで……。

 例えば、「この時期は忙しいから連絡とれないよ」と相手に言われると、「わかった、待つよ」って答えるんですが、でもやっぱり待てなくて、「連絡が欲しい!」みたいなことを言ってしまう(笑)。そうすると発達障害特性のある彼は、「『待つ』って言ったのにこの人は約束を守らない、大人じゃない人だな」と、ストレートに解釈してしまう。相手の気持ちをくむのが苦手ですから、「連絡が欲しい!」という言葉の裏にある“寂しい”という気持ちが伝わらないんですよね。ただ、確かに私も「待つよ」とは言ったな……となり、「はい、私が悪いです。申し訳ありません」みたいなことも多発してしましたね……(笑)。

岩波 ASDの方の特性として、一度決めたことを変えるのが難しい、というところはありますね。恋愛の話ではないですが、障害者雇用で働いている患者さんで、仕事上の突発的な変更が強烈に苦手な方がいました。「なぜ予定と違うことをやらないといけないのか」と怒るんです。僕がしつこく、「仕事なんだからそういうこともある。上司に言われた通りやらないとダメですよ」と繰り返し言っていたら、少しずつ変化はしていかれましたが。

 わかります。彼も、「できるだけ連絡が欲しい」という私の希望は頭に残っていて、忙しいときでもたまに連絡はくれるようになりました。でもその内容がまた、私にとってはよくわからないものだったりして、「全然わかってない!」と当時は思ってましたが……(笑)。でも振り返ってみれば、彼は、確実に変わってくれてはいました。

岩波 「なかなか変われない」と見るか、「ちょっとずつは変わる」と見るか、というところなんでしょうね。

 そうですね。そのときに、「私は“自由な彼”が好きだったはずなのに、どうしてそんな彼に『変わってほしい』なんて思っているのだろう。私、めちゃくちゃエゴイスティックだな」と思ったんです。同時に、彼は彼なりに変化しているはずなのに、それに気づけていなかったことにもすごくショックを受けて。近づきすぎるとどうしても「わかってほしい」「変わってほしい」と勝手に求めて勝手に落ち込んで、「もう嫌い!」みたいになってしまっていました。

 そういうのをやめたくて、考えた末、彼とも話し合って、「恋人じゃなくてもお互いを好きでいられる距離感を見つけ合おう」ということになりました。今でも連絡は取りますし仲良くしています。もし今出会っていたら違っていたかもしれませんが、そのときの私の選択としては、それがベストだったと思っています。

岩波 その頃から時間が経って今回の映画『はざまに生きる、春』もつくられて、当時と今とで、発達障害に対する監督のとらえ方は変化されましたか?

 変わりました。映画をつくる前は、私自身が悩んでいたこともあって、「人なんて変わらない」とずっと思っていたんですね。どうせ人は変わらない、あるいはネガティブな意味でだけ「すぐ変わっちゃう」って。「変わる」という言葉を、そういうふうにとらえていた。

 でも、当事者の方たちやそのご家族にもたくさん取材させていただいて映画をつくっていくうちに、ポジティブな意味で「人は変われるかもしれないし、変わらない部分もあるかもしれない」と思えるようになりました。同時に、発達障害の方に対しても、「この人はどうせ変わらないんだ」と、勝手に枠に当てはめていたんだな……と考えるようになりました。

「どんな相手であれ、違う人間同士だからわかり合えないんだけれど、だからこそ互いに信じ合って、一緒に生きていくのかな」という、私の中の今の結論を、『はざまに生きる、春』には詰め込んだつもりです。

(構成=斎藤 岬)

【後編はこちら】

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『はざまに生きる、春』
仕事も恋もうまくいっていない雑誌編集者の小向春(演:小西桜子)は、「青い絵しか描かない」こだわりをもつ画家・屋内透(演:宮沢氷魚)を取材することとなる。周囲の空気ばかり読み続けてきた春は、発達障害の特性から嘘がつけない透の自由さに強くひかれていくが、一方で、相手の気持ちをくみとることのできない透に振り回されることも増えていき――。

監督・脚本:葛里華 出演:宮沢氷魚、小西桜子ほか 配給:ラビットハウス
公式サイト:https://hazama.lespros.co.jp/

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