前回は、「AIが人間の知的能力を超えるシンギュラリティ」というより、カーツワイル氏が、2005年の著書『ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき』(のちに『シンギュラリティは近い』に改題して再出版)で主張した「AI免疫細胞ロボット」による人間のサイボーグは不可能だろうと論じました。
指数関数的進化はほぼ半導体でのみ例外的に進んだのであり、他のすべての技術、特にソフトウェアはそれに便乗した面が強いことを示しました。半導体技術とて、あと2、3世代はいけるけれども、永遠に高密度化し値下がりするわけでもありません。
さらに、人間のもつ複雑高度な知識の量が、AIによって指数関数的に増えていく発想に強い違和感を語りました。これにより、核物質の連鎖反応や縮小印刷技術(リソグラフィ)で倍々ゲームで高密度化する単純な現象と、オーダーメイドの知識創造や科学的発見を同一視してはいけない旨、共感していただけたら幸いです。
8年前、そして、この8年間のAI普及状況
2029年までは、あと8年3カ月あまりです。今から8年3カ月前といえば2012年(平成24年)半ばです。WindowsがVer.8になった頃です。この年は深層学習がデビューして第3次AIブームが始まった年でもあります。写真に写っているものの名前を当てる課題で突如として他方式を10ポイント上回り(それでも15%以上間違えていましたが)、国際学会を驚愕させ、AI研究に多額の予算が付き始めました。少し落ち着いてきた感もあるAIですが、次から次へと驚異的精度の機械翻訳や作文技術が誕生し、応用領域が急速に広がりつつある状況は変わりません。AIという道具の急発達は素晴らしいことです。
ただ、AI開発者としては、「もうあれから8年もたったか、その割には、深層学習の出現自体に匹敵する画期的な、全然別種のテクノロジーは生まれていないかもしれない」「(人間の科学者、技術者の役割が深層学習とも違ってくるような)パラダイム・シフトも起きていないかもしれない」という思いもあります。
スマホや、接続先のサーバに搭載された何千、何万種類ものAIに、日々何十億人がお世話になるようになったのは事実です(2019年のスマホの世界出荷台数は13億7100万台で前年比2.3%減)。しかし、あまりにさりげなくて、自分がAIに取り囲まれ、AIなしでは暮らせないようになっていることを毎日意識する人は少ないでしょう。これは技術普及のかたちとしては誠に健全です。GAFA-BATの独占に甘んじているのは日本としては脅威ですが。
カーツワイル氏の主張する2029年
さて、2017年の書籍『人類の未来 AI、経済、民主主義』でインタビュアーの吉成真由美さんにカーツワイル氏が答えて、「2029年にありとあらゆる能力でAIが人間を上回る」としている記述を振り返ってみましょう。コンピュータが人間の能力を超えるか?などという稚拙な質問に対しては、「今のAIはすべて道具です。道具は生まれながらにして専門能力で人間を超えていますが何か?」としか回答しようがないのですが、なにやら高揚した様子で、彼は具体的に挙げています。上記書籍に収められたインタビューの時点でできていない下記を含むすべてのタスクで、AIが人間より優れたパフォーマンスをあげると主張しているのです。
・しっかりした小説を書く
・シンフォニー(交響曲)を作曲する
・小説を読んで理解する
・その内容を要約する
・意味ある批評を書いたりする
以下、正確に引用します。
カーツワイル:
「コンピュータがすべての分野において人間がすることを超えるようになるのはいつか、ということですが、それを私は2029年だと提言しました。近年のテクノロジーの進展を鑑みるに、この提言にますます自信をもっています」
サブタイトルには「2029年、コンピュータが人間の知能を超える」とあります。上記の発言がもし、何百万種類のあらゆる仕事で人類No.1の能力を、特殊な完全情報ゲーム(囲碁などです)と同様に打ち負かすという意味だとすれば、ベートーベンの再来、カズオイシグロの『わたしを離さないで』を超える小説を書いてノーベル文学賞をとるAIの出現、その他あらゆるノーベル賞を独占し、超高度な発明・発見をともなう医療や、人間世界のもめごとを解決する法曹界の仕事も2029年までにAIが人間に圧勝することになります。
それほどでなくとも、各分野の専門家の平均的な能力を超えることは果たして可能でしょうか? 日々苦労してAI開発を実際にやっている者としては、実務現場を「見て」どこからどこまでがルールでなく暗黙知で処理されていて、どこにまだ取得できていないデータが潜んでいて、それを的確にデジタル表現するにはどうした良いかを考え出せるAIが8年後に出現するとは到底考えられません。身体感覚や社会常識、過去の経験や情動と結びついた人間の動機を本当の意味で理解する能力は、ハードウェアの速さとは直接関係ないのです。
人間の専門家の能力について
人間の専門家は、自分の身体能力、感覚、把握、そして反射的に行う習慣化した動作などで、暗黙知を駆使します。暗黙知だから、なぜ自分がそのようにできるのか説明できません(なぜこの写真がミカンで別の写真は柿なのか説明できないのと同様)。入力データと出力データが定義できれば、その途中のブラックボックス、暗黙知をそのままキャプチャーできることもある深層学習は偉大です。
しかし、また、自分や他人の仕事の一部を論理的思考によって客観的に評価し、「なぜそうなるのか?」の因果関係を本当の意味で理解し、ゼロから代案、改良案を発明し、実施して反省することができるのは人間だけです。少なくとも、先の見通しが読める数十年単位の未来までは。
例えば医師や弁護士です。暗黙知や経験知と形式知を絶妙に組み合わせて事態を診断、把握します。患者やクライアントに嘘をつかれてもそれを見抜いて適切に対処し、事態を解決できます。このような普通の医師や弁護士の仕事の一部を拙著『AIに勝つ!』で解説しています。彼ら一人ひとりの仕事全体をAIで置き換えられる目途はたっていません。
しかし、カーツワイル氏は2029年に人間のすべての能力をAIが超えると主張しています。この主張をどう割り引いても、普通の医師、看護師、弁護士、検事、裁判官が2029年にAIに追い越されると聞こえます。オックスフォード大学のオズボーン准教授が2013年に発表した、遠くない将来98~99%の確率でなくなる20種類の仕事には、電話セールス、保険の審査担当、入出荷・物流管理者、部品のセールスマン、融資スペシャリストなどがあります。これらの仕事の担当者が消滅した、いや、たった1人でも、AIに取って代わられたとは寡聞にして知りません。さまざまな暗黙知と形式知を組み合わせて駆使し、社会常識や感情を備えた人間を相手にして、当意即妙に対応しなければ通用しないという点では、医師や弁護士に準じます。彼らほどの高度専門知識体系(主に形式知)はもっていなくても仕事できる点が違うだけでしょう。
現時点で産業界で実現している技術は、20~30年前には、プロトタイプが研究室で誕生し、実用化の見通しがたっていたものがほとんどです。この世に何万種類の仕事があるなかで、そのすべてについて個別に研究しつくされ、自動化の手法が発明されているのでしょうか? 「2029年に人間のすべての能力をAIが超える」と明言したカーツワイル氏は自分の言っていることがわかっているのでしょうか?
ハードウェアの性能向上を根拠にあげていますが、そんなものは最低限の必要条件でしかありません。人間が入出力の定義すらしてあげることなく、学習に必要な良質データを自発的に選択して収集したり自動生成して自発的に学習できるAGI(汎用AI)の実現の目途がたっていない以上、8年半後に「2029年に人間のすべての能力をAIが超える」のはあり得ないでしょう。
論理的思考能力はパターン認識を積み重ねた結果、生まれるのか?
吉成さんによる先のカーツワイル氏へのインタビューの中で、「新皮質の量的拡大」という小見出しのところで彼は次のように発言しています。
「われわれの脳の新皮質は、基本的には三億ほどのモジュールから成り立っていて、それぞれのモジュールは約100のニューロンでできています。それぞれのモジュールがパターン認識をし、これらのパターン認識モジュールは、ヒエラルキーをなしています。こうして思考というものが行われているわけです」
ちょっと待ってください。見たもの、聞いたものが何であるかを当てるパターン認識を積み上げると論理的思考になるのですか? その短絡はまったく論理的でありません。脳がどこかで論理的思考をしているけど、みたところ脳にはもっぱらニューロンの階層的な構造が多いから、きっと思考もパターン認識のようなものだろう。このような粗雑で稚拙な思考力しかない人にはPhD(博士号)は取れません。そして、本当の論理的思考力のなんたるかを体感できないのだから、お手本としての人間の思考をモデル化する資格もないといえるでしょう。
意識の上で、直列的、直線的に因果関係を考えていく。これは超並列計算でパターン認識が行われる様子とはずいぶん違います。パターン認識の上位階層が論理的思考という仮説を少々乱暴に唱えてもいいですが、意識は脳内の一部に局在するというよりは全体に分散、広がって存在しているという説のほうが有力です。さらに意識の具合や発想は、ニューラルネットワーク上の電気信号でなく、脳全体に化学物質が一斉に放たれて状態を一気に変えられてしまうこともわかっています。これらを含む脳の仕組みを完全に人工的に再現するのは不可能ではないかもしれません(私も「人間=機械」論者です)。
しかし、今世紀中に実現できる気はしません。超高速コンピュータ上のソフトウェアでシミュレートしつつ、自意識が生まれるという断層的なブレークスルーの可能性までは否定しない。でも、それは、土星の衛星タイタンで生命が発見されるのを待つようなものです。冥王星の地底に知的生命体がいる可能性だって完全に否定するのは困難な「悪魔の証明」ですが、その可能性を前提に企業が事業計画たてたり文科省、厚労省が政策を決めたりしてはいけない。シンギュラリティについても同様ではないでしょうか。
いつもより長くなってしまいました。前回予告した、「(カーツワイル氏の)2045年のシンギュラリティとの違い」については、また次回以降としたいと思います。
(文=野村直之/AI開発・研究者、メタデータ株式会社社長、東京大学大学院医学系研究科研究員)