確かに、東日本大震災の直後において、池田氏がすべてにおいて正しい発言をしていたかといわれると、微妙なところはある。しかし、少なくとも池田氏には地震で混乱する日本社会や日本人に対して、彼の知る限りの放射性物質に関する知識を動員して、望ましい行動を個人の信用とリスクに基づいてツイッター上で展開しただけであって、仮に、後に彼自身が原子力発電所稼動のリスクと経済性を考え直して主張を一部変更したとしても、それをただちに彼自身に対する批判に直結させるべきとはいえない。それだけ、大事件であった東日本大震災と福島原発事故は人間の平常心と冷静さを一時期奪ったのであり、また一億歩譲って池田氏のツイートに問題があり、批判の対象とするべきだと認めたとしても、彼のツイートをやり玉に挙げたところで、上杉氏自身の読売新聞からの記事盗用の疑惑解消にはまったく寄与しない。
ほかにも論点は複数あるが、さてこれらの問題について、TOKYO MXは一連の放送をどう考えているのだろうか。ビジネスジャーナルの平野遊氏、およびビジネスジャーナル編集部(以下、BJ編集部)の取材協力を得て、TOKYO MXに対して質問を試みた。返答を頂戴したのは、MX編成部長、茅根由希子さま名である。
少し長いが、正確を期すために質疑を全文引用しよう。(原文ママ)
茅根:そもそも、ここでのご質問で貴社が前提とされている事実自体、真実かどうか明らかではありませんので、この点についての回答は差し控えさせていただきます。ただ、今回、上杉氏が池田氏のツイートについて「3つ削除されている」と発言している点については、当社で事実関係を確認したとこ ろ、実際には、2つについては、現在、池田氏のツイッターにおいて確認できないことから削除されていると考えておりますが、1つについては、現在 も池田氏のツイッッター上で確認できることが判明しましたので、この点については、事実誤認があったものと理解しております。なお、『5時に夢中!』は、報道番組ではなく、コメンテーターの自由な発言を特徴としている生番組であり、コメンテーターの言動一つ一つについて事前にプロデューサーが真実かどうかを確かめることは困難であることから、そのような対応はしておりません。
一連の質疑を読んでいて頭を抱えたのは、TOKYO MXが仮にも放送法の枠内で営業を行っていながら、上記3ツイートのURLをみれば分かる程度の事実関係の確認すらも怠り、「実際には、2つについては、現在、池田氏のツイッターにおいて確認できない」などと回答をしてきている点である。
また、回答において「コメンテーターの自由な発言を特徴としている生番組」とあるが、プロデューサーが事前に確認できるかどうかは別として、すでに行われた放送内容において問題が起きているのだ。情報番組は報道番組ではないので、放送内容に確認義務を生じさせないということはあり得ない。
これらの状況を見て想起するべきは、2007年に発生した関西テレビ製作のバラエティ番組『発掘! あるある大事典』(フジテレビ系)において「実際には行っていない実験データを放送し、効果を誇張していた」と発表し、データの捏造があったとして、当時の関西テレビ・千種宗一郎社長(62)が記者会見を開いて陳謝する事態に発展。さらにそれでは収まらず、日本民間放送連盟(民放連)から除名処分を受けた。
捏造に関して言うならば、放送内容に誤認があり、その報道による被害者がいる場合は特に、報道番組かどうかにかかわらず、放送局が責任を持たなければならない。
通常の週刊誌であれ、事実誤認が確定した場合は、確認を怠ったとしてデスクが飛ばされるのである。放送法に縛られるテレビ局が編成部長の名前で「まだ事実確認を行っていません」と回答するというのは、常識的には考えられない対応である。
一連の『5時に夢中!』における上杉氏の起用に関しては、別の問題も浮上している。TOKYO MXの制作部の、いわゆる「反原発」運動について積極的なスタッフが、上杉氏の起用継続を進言しているというのだ。
現在『5時に夢中!』に出演している、あるタレントの所属する事務所では、取材に対して「私どものタレントが反原発活動に対して積極的ということではなく、番組の方針としてそのような内容になったため、場を盛り上げる目的でそのような発言をすることもある。必ずしも、所属タレントの個人的な見解を正確に意味するものではない」と回答している。番組の台本についても、独自に入手した情報によると<当該時間帯については上杉氏の発言に沿って進行する>としか記述されておらず、発言者の自由を最大限尊重した内容となっていた。これでは確かに、上杉氏の釈明放送の内容に関して事実に基づかせるチェックもできまい。また、本件上杉氏の捏造放送疑惑の問題に限らず、TOKYO MXにおいては、放送内容をめぐって編成部と制作部の間で見解が違い、対立することも多いという。