そのひとつが、「バーゼル規制の見直し」で、銀行の自己資本比率に保有資産の金利リスクを組み込もうとするものだ。実現すれば、約128兆円もの国債を持つ邦銀は、大きな資本圧縮を迫られる。また、長期ローンもリスクとされるため、個人の住宅購入に悪影響を及ぼす可能性もある。
こうした「外圧」に屈してはならないと警鐘を鳴らすのは、自民党の小倉將信衆議院議員だ。小倉議員は東京大学を卒業後、7年以上日本銀行に勤務し、主に国際金融を担当していた。
「今、日本はアベノミクスにより金融機関からの貸し出しを増やし、経済を活性化させる方針をとっています。新しい規制はそれに逆行するため、銀行が貸付を渋らないか、懸念しています」(小倉議員)
そもそも、日本経済の長い停滞を招いたきっかけは「バーゼルⅠ」だったと小倉議員は主張する。
「バーゼルⅠが合意された1988年当時、日本の金融機関の自己資本比率はきわめて低かったのです」(同)
それでも、国内ではうまく動いていた。日本経済を支えていたのは、大企業より圧倒的多数の中小企業だが、そこに資金を回していたのが、経営者と地道に付き合ってきた銀行員たちだ。彼らが顧客との間に築いた「信用」により、日本の金融はうまく機能していたのだ。
「しかし、国際ルールで自己資本比率を8%(国内業務のみの金融機関は4%)まで高めなければならなくなりました。とはいえ、いきなり自己資本を増やすことは不可能なので、銀行が所有する株式の含み益の45%まで自己資本に算入できるなどのテクニックが考え出されました。邦銀は多くの株式を持っていたので、日本政府がプライス・キーピング・オペレーション(PKO)で株価を維持する限り、なんとかやっていけたのです。その半面、バブルが発生したとわかっても、金融当局は対策を講じることができませんでした。そして、いよいよバブルが崩壊すると、株価が下落して自己資本が減少した分、銀行は貸し剥がしなどで補う必要に迫られました。こうして、長らく続く日本経済の停滞が始まったのです」(同)