京都府警は27日、京都アニメーション放火殺人事件の犠牲者全員の身元を報道各社に公表した。報道各社はこれを受け、一斉に犠牲者全員の実名を報道した。これまで府警は犠牲になった35人のうち25人分の住所氏名に関して、「遺族の了承が得られていない」などとして発表を延期していたが、早期公表を求める報道各社の要請に折れた。
京アニ側代理人の桶田大介弁護士は同日、ツイッター上で「弊社の度重なる要請及び一部ご遺族の意向に関わらず、本日被害者の実名が公表、一部報道されたことは大変遺憾です」と表明。ネット上では、同社の作品のファンらを中心に遺族の意向に反した身元公表に疑問の声が上がっている。
「身元公表求めない」署名に1万5000人
未公表の犠牲者の身元をめぐり、京アニは事件後、公式サイト上で次のように説明していた。
「警察及び報道に対し、本件に関する実名報道をお控えいただくよう、書面で申し入れをしております。遭難した弊社社員の氏名等につきましては、ご家族・ご親族、ご遺族の意向を最優先とさせていただきつつ、少なくともお弔いがおえられるまでの間は、弊社より公表する予定はございません(原文ママ)」
これを受けて、インターネット署名サイトChange.Orgでは「京都アニメーション犠牲者の身元公表を求めません」と題した署名活動が行われ、28日正午現在、1万5000人以上が賛同している。
一方、京都府内の報道12社でつくる「在洛新聞放送責任者会議」は20日、植田秀人府警本部長宛てに「速やかな公表」を求める申し入れ書を提出していた。申し入れ書で報道各社は「事件の全体像が正確に伝わらない」「過去の事件と比べて極めて異例」として実名公表を求めた。
警察庁の介入と報道各社の反発
公表することになった背景に、何があったのか。全国紙社会部記者は、こう打ち明ける。
「当初、京都府警は遺族の了承がなくても、公表する予定だったようです。早期に身元や了承が取れた犠牲者10人を先に公表して、8月中旬までに残りの25人を公表しようとしていた。そんななか、世論の『遺族の意向を無視するな』という意見に影響された警察庁が公表をストップさせたらしい」
確かに歴史的な事件とはいえ、警察庁が地元警察にこれほど大胆に介入するのは異例だ。これにより京都府内のマスコミ各社は「国による報道の自由の侵害」と見て一層態度を硬化させ、前述の申し入れにつながったと見られる。
殺人事件の被害者報道をめぐっては、これまでも議論が繰り返されてきた。国は2005年に策定した犯罪被害者等基本計画で、被害者等の名前について「警察は,犯罪被害者の匿名発表を望む意見とマスコミの実名発表の要望を踏まえ,プライバシーや公益性などを総合的に勘案しつつ,個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」と定めた。しかしこれに対して、日本新聞協会と日本民間放送連盟は反発。以下の共同声明を出している。
「匿名発表では、被害者やその周辺取材が困難になり、警察に都合の悪いことが隠される恐れもある。私たちは、正確で客観的な取材、検証、報道で、国民の知る権利に応えるという使命を果たすため、被害者の発表は実名でなければならないと考える」
こうした報道各社と警察の論争の渦中で取材現場にも動揺が広がっている。
前出の社会部記者はこう漏らす。
「警察が実名で発表することと、その発表された身元を紙面や電波に流して不特定多数に知らしめることは別な気もします。警察の捏造や隠ぺいを防ぐためだというなら、私たちが事実を検証すればいいだけです。遺族が望まないのに大っぴらに名前を出すことに違和感を覚えている若い記者は多いですよ」
犠牲者の氏名を遺族の許可なく公開することは違法なのか。弁護士法人ALG&Associates執行役員の山岸純弁護士は次のように解説する。
山岸弁護士の解説
この問題は、死者の名誉・プライバシーという法学上の論点を考えなければなりません。まず、名誉毀損罪について規定している刑法230条2項は「死者に対する名誉毀損は、表現した内容が、客観的に虚偽である場合にのみ成立する」と定めています。
このため、名誉に関して言えば、犠牲者の氏名公表について遺族の許可が必要かどうかは関係なさそうです。
次に、プライバシーについてですが、「プライバシー」とは、氏名などの個人情報を自分で管理する(勝手に公表されない、知らないところで使われない、一定範囲の人に知られない)権利を意味するのですが、この「氏名」などを「個人情報」という観点から検討します。
「個人情報」の取扱いについて規定する「個人情報保護法」では、「個人情報」を「生存する個人に関する情報」と定義しています。
このため、犠牲者にとって氏名を公表されるか、されないかについては遺族の感情も含めて保護されないという結論となります(違法行為でもなく、刑罰もない)。
しかし、これでは遺族が納得しません。
遺族には「死者を敬虔する感情」があり、これらが法的な保護に値することは当たり前です。したがって、「亡くなった子どもなどの氏名を公表したりせず、静かにしておいて欲しい」という感情は理解できます。
もっとも、「詐欺集団のパーティに火炎瓶が投げ込まれて焼死した犠牲者の中に子どもがいた」ような場合における「たまたまそこにいただけかもしれず、息子が詐欺集団の一人と誤解される可能性もあるから氏名の公表をしないで欲しい」という感情・考え、「刑務所内で騒乱が起きて死亡した犠牲者の中に子どもがいた」ような場合における「子どもが受刑者であることを知られたくないから氏名の公表をしないで欲しい」という感情・考えは理解できるかもしれませんが、今回のような「京都アニメーションで勤務していること」自体には何ら恥じらうところがない以上、これを「公表しないで欲しい」という感情は、やはり報道の自由に勝ることはないと思います。
やはり、「報道」には「報道の自由」の根本を支える「国民の知る権利に応える」という責務が課せられている以上、私は、今回の氏名公表は遺族の感情・考えと比較考量しても、正しかったと考えます。
(文=編集部、協力=山岸純/弁護士法人ALG&Associates執行役員・弁護士)