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日本誕生秘話 「倭国」「邪馬台国」は、中国にバカにされた表現だった!

文=最上光太郎
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「日本国は倭国の別種なり。其の国、日の辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。或は曰う。倭国自ら其の名の雅ならざるを惡み、改めて日本と為すと。或は云う。日本は舊小国にして倭国の地を併せたりと。其の人、入朝する者は多く自ら衿大にして實を以って對えず。故に中國、焉れを疑う」

 わかりやすいように、整理して箇条書きにしてみよう。

(1)「日本国は倭国の別種なり」と書かれている。当時の中国にはその認識が定着していたと見え、宋代初期の『太平御覧』でも同様の記事があり、2つの国である旨が引き継がれている。

(2)「其の国、日の辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す」と、日本国という国号が生まれた由縁について説明されている。聖徳太子が遣隋使に持たせた国書の中で「日出づる国の天子、書を日没する処の天子に致す」と述べたことに通じる。

(3)さらに、国号命名の由縁について、「倭国自ら其の名の雅ならざるを惡み、改めて日本と為す」と記載されている。文化レベルが上がり、漢字の意味を理解するに従って「倭国も邪馬台国も、わが国を侮蔑した表現であることがわかってきた」ということである。

(4)そして、「日本は舊小国にして倭国の地を併せたりと」と書かれている。日本国が倭国を吸収合併したのだから、日本国と名乗ろうというのである。小国日本が大国倭国を併合したため、国号が日本国になったということだ。

(5)しかし、702年の遣唐使がその経過について皇帝に説明できなかったため、皇帝は疑って信用しなかったというわけだ。

 この『旧唐書』が完成、奏上された945年の翌年には後晋が滅亡してしまったため、北宋になって改めて『新唐書』が編纂されることになった。この時から、それまでの『唐書』は『旧唐書』と呼ばれ、『新唐書』の編纂に当たって、当然ながら編纂者も交代する。

 そして、『新唐書』でも、ほぼ同様の記事が書かれている。ただ、『旧唐書』では「小国の日本国が大国の倭国を征服した」と書いているが、『新唐書』では「倭国が日本国を併合し、日本国と名乗った」と書かれている。

 正反対の状況になっているわけだが、いずれにしろ、倭国と日本国に分かれて対立していた2国が統一され、ひとつの国になったという流れは、歴史的事実だった可能性が高い。

 しかし、なぜ国号が倭国から日本国になったのだろうか。そのあたりの事情については、次稿で明らかにしたい。
(文=最上光太郎)

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