逮捕容疑は、大阪証券取引所第1部に上場していた化学メーカー、新日本理化株に証券会社7社を通じ、恭氏ら4人の名義で大量の買い注文を出し、不正に高値に吊り上げ、高値で売り抜けるなどして60億円の売却益を得たとされる。特捜部は、株価を変動させる目的で根拠のない情報を流す「風説の流布」にあたる疑いがあるとみている。恭氏は東京大学大学院で数理科学の博士号を取得した後、数学や統計学を駆使して金融の問題に取り組んでいた。
証券取引等監視委員会は今年3月11日、仕手グループ「般若の会」が運営するインターネットサイトを通じて、特定銘柄の株価を吊り上げた証券取引法違反(風説の流布)の疑いがあるとして関係先を強制調査した。証取委の告発を受けた東京地検特捜部が、詰めの捜査を進めていた。
新日本理化株
長く沈黙していた加藤氏の名前が再び登場するきっかけになったのは、2011年3月の東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故である。広島で被爆した加藤氏は原爆症への怯えから、座禅を組み、般若心経を唱えた。「般若の会」を立ち上げ、般若心経を説くために実名で登場、合わせて株価の見通しを披歴した。
同年11月1日、「時々の鐘の音」と題するサイトを開設。「般若の会代表、加藤あきら」名で、「200円台、5円復配、復興関連」といったヒントを並べて、特定の銘柄が「凄まじい爆発力を生み出す」と大予言をした。これらの条件を満たす銘柄は、大証1部市場に上場している化学メーカー、新日本理化だとマーケットは囃し立てた。
加藤氏が推奨したことにより、新日本理化の株価は暴騰した。同年10月28日の株価は268円だったが、この書き込みで11月2日には367円と大幅高を演じ、12月12日には930円の最高値をつけた。サイト開設から1カ月あまりで株価は3.4倍に大化けした。11年12月29日、加藤氏はさらなる株価上昇を予言した。
「12月12日の高値930円までは大量の出来高をこなし順調に買いの回転が効いていました。来年(注・12年)の1月24日以降には上値が軽くなって意外と簡単に930円の高値を抜いてくることも十分考えられます。この株式のヤマ場は来年の3月であると考えるのが妥当であると思います」
新日本理化の株価は12年3月にヤマ場を迎えると、伝説上の相場師が見通しを語ったわけだ。株価が動かないわけはない。12年に入り株価は暴騰。3月2日には1297円の最高値を更新した。サイト開設から4カ月で4.8倍に上昇した計算だ。加藤神話は生きていた。加藤氏の名前が「凄まじい爆発力」を発揮したのである。
加藤氏は書き込みを繰り返す一方、サイトの会員や親族らに大量の買い注文を断続的に出して意図的に株価を上げる「買い上がり」などを電話で指示していたという。
東京地検特捜部は、加藤氏らが12年2月15日から3月2日までの間に新日本理化株式を296万株買ったほか、280万株の買い付けを委託し、株価を871円から1297円にまで引き上げたとしている。新日本理化株の買い付けに投入した資金は30億円近くに上る模様だ。別の3銘柄でも同様の書き込みと買い上がりなどの指示を繰り返し、保有株を売り抜け、総額60億円の売却益を得たとされている。
特異な才能
加藤氏は1941年、広島県の生まれ。2歳で被爆した。高校の時、当時不治の病といわれた結核に罹り、4年間の療養生活を送った。被爆と結核療養という2つの体験を通じて、加藤氏の人生観、宗教観が形成された。あらゆる宗教に救いを求め、たどり着いたのが般若心経だった。療養所近くにあった宮島の競艇場にも通った。ここで、ギャンブルに対する天性のカンが養われた。
早稲田大学商学部を卒業後、入社試験で苦渋を味わう。4年遅れという年齢的なハンディキャップのため、大企業からはことごとく門前払いを食った。いろいろな仕事をやった後に兜町に辿りつき、黒川木徳証券の歩合外務員となった。加藤の特異な才能を認めたのが、政財界に大きな影響力を持っていた笹川良一・日本船舶振興会会長だ。
加藤氏は77年、投資顧問会社、誠備を立ち上げた。名付け親は笹川氏だ。医師や社長、政治家、スポーツ選手など5000人を会員とする誠備グループを率いる加藤氏は「兜町の風雲児」と呼ばれた。日本中を騒然とさせた銀座での1億円拾得事件のカネは、加藤氏が落としたものだった。「政治家に渡すカネだった」と後年、加藤氏自身が述懐している。
「最後の相場師」
81年2月、加藤氏は東京地検特捜部に逮捕された。所得税法違反(脱税共犯)の容疑だが、特捜部の狙いは、誠備の顧客である政治家の名前を吐かせることにあった。加藤氏は取り調べ中に般若心経を唱え完全黙秘を貫いた。加藤氏が口を割っていたら、リクルート事件以上の一大疑獄事件になっていたといわれている。
加藤氏に助け船を出したのは、経済ヤクザの異名をもつ石井進・稲川会会長。「秘密は、何があっても厳守する」というプロの相場師の侠気に感動した石井氏は、加藤氏側の証人に立った。裁判の核心は、加藤氏本人の24億4500万円にのぼる脱税だった。仮名口座による株取引による利益は、すべて加藤氏の所得と検察は主張した。石井会長は仮名口座は自分が加藤氏に資金運用を委託した分だと証言。仮名口座の利益は顧客のもので加藤氏の利益でないことを立証した。
顧客の脱税幇助では有罪になったが、脱税では無罪となった。検察の負けであった。決め手になったのは石井氏の証言である。
バブル末期に、石井氏の指南役として仕掛けた東急電鉄株をめぐる仕手戦は、加藤の輝かしい戦績だった。竹井博友氏や小谷光浩氏といった大物仕手筋が総結集した。だが、石井氏の病死で、東急電鉄株に買い向かった仕手筋は総崩れとなった。
加藤氏はバブル崩壊後は影を潜めていたが、阪神大震災後の95年に「新しい風の会」を結成し、仕手銘柄、兼松日産農林を300円台から5310円へと13倍に暴騰させた。以後、加藤氏が表舞台に登場することはなかった。近年はさまざまな疾患を患って、入退院を繰り返しているという。それでも、株をやめられなかったのは、株式投資が人生そのものだったからだろう。
「最後の相場師」は特捜部に逮捕され、株式市場の表舞台から消えることになる。
(文=編集部)