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道明寺美清「人生は大逆転できる!」

ビキニ全日本大会優勝・三船麻里子、どん底シングルマザーから女性殺到カリスマトレーナーへ

文=道明寺美清/ライター
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三船麻里子さん

 安倍政権が掲げる「人生100年時代」に加え、すべての女性が輝く社会づくりが功を奏してか、年を重ねさらに輝く女性が増えている。そんな現代を代表するような女性、三船麻里子さんは、ヨガインストラクター、ビキニアスリートとして活躍する。2015年、16年と2年連続でフィットネスビキニ全日本大会を制し、18年にはシンガポールで行われたフィットネスビキニ世界大会で、35歳以上のビキニマスターズ部門で準優勝に輝いたボディビル界でもっとも注目される存在である。最近はテレビ、雑誌にも取り上げられるなど華やかな人生にみえる三船さんだが、シングルマザーとしてつらい時期もあったという。人生を大逆転した三船麻里子さんに話を聞いた。

ボディビルに目覚めるまで

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 幼い頃から好奇心が旺盛で活発だった三船さんは、体を動かすことが好きだった。高校入学後、すぐに両親へ宣言した。

「私はもう勉強をしない。高校を卒業したらフィットネスの道へ進む!」

 その意志は固く、大学進学を勧める両親の言葉に耳を貸さなかった。

「高校入学後は、どうしたらフィットネスの道へ進めるかを調べました。現在のようにインターネットが普及していない時代でしたので、専門学校を探しながらダンスを始め、どうやって体をつくるか試行錯誤しました」

 三船さんの高校時代はアイドル全盛の頃。多くの女子高生はアイドルに憧れ、松田聖子や小泉今日子の髪型やファッションをまね、トレンディドラマが話題の中心となるような時代だった。

「当時は今のようにトレーニングの情報などなかったので、本を読みあさり、体をつくるには食べ物が大事だと知ったのですが、当時は食品のパッケージの裏を見ても成分の詳細はなく、食品メーカーに電話をかけて『成分や原材料を教えてください!』って聞きまくっていました」

 三船さんは高校生時代を振り返り、笑顔を見せる。その後、フィットネスの専門学校へ進み、卒業後はフィットネスインストラクターの派遣会社に入った。スタジオやジムで指導を行うようになった一方で、自身の体のウィークポイントに気づいた。

「インストラクターをしながら、私は体ができていないと気づきました。先輩方の勧めもあって、当時“ボディビルのメッカ”といわれていた中野ヘルスクラブというジムに通い始め、そこでトレーニングをするなかで目標ができました。それは『ミス健康美』という大会に出ることで、トレーニングの強化と食事管理をし始めました。

 当時の食事管理は、現在の糖質オフと同じようなものでした。肉、魚、大豆などのタンパク質を中心とし、野菜も低糖質のものを選びます。体をつくる食事の基本は、昔も今も同じです」

 19歳のときに「ミス健康美」の全国大会に出場し、7位止まりだったが、ボディビルに魅せられていった。

セレブ婚からシングルマザーへ

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 そんななか、中野ヘルスクラブで知り合った男性と結婚することになる。

「中野ヘルスクラブで何度か見かけていた男性は、当時大学生でした。普段は米ニューヨーク州に住み、大学が休みのときに日本に戻っていたんです。ある日、言葉を交わし意気投合し、お付き合いが始まりました。2年間は遠距離のまま交際を続けましたが、耐えきれずアメリカの彼のもとへ行きました。その後、彼が医師になるためカリブ海のグレナダ島にある大学へ移るときに、夫婦のほうが都合がいいからというノリで結婚しました。日本の両親には電話で『私、結婚するから!』と報告。私らしい結婚に両親も喜んでくれました」

 その後、夫が医師となり、アメリカでのセレブな生活が始まった。

「広い家に高級車、メイドもいる生活。友人もたくさんいて楽しい日々でした。しかし、ある時、私が子供とともに日本に帰国してから、子育ての大変さもあり、両親がいる日本にいる時間が楽に感じるようになり、滞在日数が増えていきました。そしていつの間にか夫婦がすれ違ってしまい、離婚を決意しました」

 だが、離婚協議はスムーズに進まず、悩んでいた三船さんに弁護士が語った言葉は、「今すぐ子供を連れて日本へ帰りなさい。そうしないと子供を連れて日本へ帰れなくなる」というものだった。

 その言葉を受けて三船さんは取るものも取りあえず帰国。その後は、弁護士を交えた国際電話での交渉となり、時間はかかったが離婚が成立した。当時の日本はまだシングルマザーへの風当たりが強く、子供との再スタートは簡単ではなかった。

妥協しないことが成功へ導いた

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 シングルマザーとなり、両親の下へ身を寄せた。

「帰国当時、日本ではシングルマザーはマイノリティでしたので、泣いたこともありましたが、『私なら巻き返せる』と自分に言い聞かせていました。私の気持ちを察してか、母が『あなたならできる』と背中を押してくれたことも大きな支えとなりました」

 自立するため、ヨガインストラクターとして再スタートした。仕事を得るために、ジムなどでオーディションを受けたが、その際、自身のブランディングのために妥協はしなかったという。

「自分自身を評価し、それに見合ったギャラの提示がない仕事は受けませんでした。オーディションを落とされても、その自分の基準を変えず、自身のスキルを磨いてがんばったおかげで、徐々に仕事は増えていきました」

 自身のブランディングにこだわったことが成功の要因のひとつだった。大勢いるヨガインストラクターのなかで、いかに「他者との違い」が出せるかに腐心したことで、仕事のオファーは増えていった。それによって自立することができるようになった。そして40歳の時、ボディビルに復帰し、19歳の時に出場した大会に再チャレンジした。

「ミス健康美に42歳で再挑戦しましたが、なんと優勝しました。19歳の自分に42歳の自分が勝ったのだと思うと、非常に感慨深いものがありました」

 三船さんはボディビル界で不動の地位を確立したが、現在もさらに挑戦を続けている。

「これからもビキニアスリートとして挑戦するため、トレーニングの基本はボディビルと同じで週に5~6日、胸、肩、腕、背中、脚、お尻と分けて1日2時間近くトレーニングします」

 また、一般向けにもトレーニングの指導を行っている。

「昨年、50代に入りました。同じ年頃の女性のヒップアップ&気分アップ&運気アップのエクササイズを考案しました。私の考案したエクササイズで多くの女性が美しくエイジレスでいられるように、これからどんどん広めていきます!」

 マンツーマンで行う三船さんのトレーニングは、予約が取りにくいほど人気だという。2020年は、女性の間で“三船麻里子式トレーニング”がブームとなるかもしれない。
(文=道明寺美清/ライター)

道明寺美清/フリーライター

道明寺美清/フリーライター

薬剤師として26年間医療に関わった経験から医療ジャーナリスト、美容研究家としても活動。夕刊フジ、ビジネスジャーナル等で連載を持ち、ペンネーム / 道明寺美清でも多数執筆をこなす
道明寺美清オフィシャルブログ

Twitter:@eri_yoshizawa_

Instagram:@medical_journalist_erie

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