2020年度から大学入学共通テストで導入予定だった英語民間試験について、萩生田光一文部科学大臣は19年12月17日の閣議後記者会見で導入を延期すると発表した。今回の延期の発端となった萩生田文科相の「身の丈」発言は、現在の教育政策全般に通底する思想だ。
BSフジの『LIVE プライムニュース』は私もコメント出演したことがあるが、司会者が論議を盛り上げたところでズバッと切り込んでくるので、コメンテーターもつい本音が出てしまう。萩生田文科相の「自分の身の丈に合わせて2回をきちんと選んで勝負してがんばってもらえれば」という言葉も、女性雑誌の「身の丈に合ったマイライフ」といったノリだったのであろう。しかし、その前の「裕福な子が複数回受けてウォーミングアップする」という発言に続くと、明らかに受験でも自分の生活レベルに合わせて身の丈を考えろ、という本音が出た。
公立高校に行けない子が地元の私立高校へ、という昭和の時代から、有力な難関大学に現役合格したいなら中学から中高一貫6年制の私立へ、という平成の時代になった。家庭の経済力による身の丈進学が一般的になっている。国の教育政策でも、「家庭の自己責任」が共通の暗黙の了解になっている。
ただ、「入試だけは公平かつ公正であるべきだ」という、最後の砦ともいえるルールを担当大臣が軽視したことへの反発で延期が決まった。しかし、もともとは、国の財政負担なしに本人の受験料で英語民間試験を受験させて実用的語学能力を高めよう、という安易な発想が背景にある。
文科省の格差対策ガイドラインは現実離れ
グローバル人材の育成は、平成の教育政策の柱のひとつになっている。人材の国際競争力を高めようというのだ。小学校英語の導入、英語による授業、高校生を含めた海外留学などによって、国際語である英語でのコミュニケーション能力の向上を進めている。すでに、個別の大学の入試でも「読む・聞く・話す・書く」の4技能を測る英語民間試験の導入は提唱されてきた。具体的にTOEFLやTOEICなどが大学の入試に活用され、推薦入試などで、その成績が判定に利用されるケースも増えている。入試の多様化の表れと見る向きも多い。
では、なぜ今回の共通テストにおける導入が延期されたのか。多様化の傾向とは逆に、国公立大学を中心に5割の受験生が受ける全国一律型の入学試験だったからだ。全国高等学校長協会が指摘したように、大都市と地方の地域格差だけでなく、同じ県内でも県庁所在地と離島の格差も生まれる。
首都圏の受験生のように、低コストで英語民間試験やその受験対策講座などを受けられる地域と、そのような受験機会が少ない地方では、圧倒的な格差が生じる。受験コストもかなり違うのだ。特に、離島や過疎に悩む地域に住む高校生には経済的な負担も大きい。当然予想された格差批判に対して、文部科学省も一応のガイドラインを公表し、格差のために受験に困難が生じる生徒の救済策を示した。
その中身が問題だ。地域格差の対象となる「離島・へき地」に該当すると判断されたのは全国で304校。2018年学校基本調査によると全国の高校数は4897校だから、6.2%にすぎない。ただ、住民税非課税世帯も対象となるので、実質的に対象はもっと広がるが、その救済策が非現実的としか言いようがない。
複数の英語民間試験の成績を比較するために、それらの複数の検定結果を「CEFR(セファール)ヨーロッパ言語共通参照枠」の6段階で比較することになっている。救済策では、この6段階で上から3番目のB2レベル(英検1~準1級相当)以上を取っていれば、高3の2回分の成績に代え、高2の1回分を提出できるという内容だ。
ところが、非課税世帯や離島・へき地といった不利な条件でB2レベルに達する生徒の数は非常に少ない。有識者の中にも、高2時にB2以上の成績を有するという設定はレベルが高すぎる、という声が多い。伊豆諸島の神津高校長は「実質的に使えない」と指摘している。
ちなみに、中卒の50%が合格目標のもっとも平易なA1(英検では3級)を出願資格とする国立大は金沢大学、熊本大学など有力大を含め9校もある。旧帝大系であの東京大学、京都大学、大阪大学なども、20年入試で明示された出願資格はA2(英検では準2級)だ。救済策として高2で有力国立大よりはるかに高いレベル(B2)を要求する根拠は、どこにあるのだろうか。
そもそも破綻していた英語民間試験の活用案
TOEIC(TOEIC Listening & Reading TestおよびTOEIC Speaking & Writing Tests)が大学入試への参加を取り下げることを19年7月に発表した。TOEICを実施・運営する国際ビジネスコミュニケーション協会のホームページの発表によると、「受験申込から、実施運営、結果提供に至る処理が当初想定していたものよりかなり複雑なものになることが判明」したためだという。
英語民間試験の成績を出願の必須条件としないと決めた東京大学の石井洋二郎副学長が指摘したように、異なる目的と手法である複数の民間外部試験を公正に比較することは困難である。公平を大原則とする入試に導入することに、そもそも無理があったのだ。
前述したCEFRにしても、専門家の間ではもともと個々人の能力発達の目安とされており、入試のように受験生の学力を数値化して判定するものではない。そのため、対照表自体が相互の関連など科学的な検証がなされていない、という。高校生の学力のベースとなる学習指導要領との関係がない内容が含まれている。そのCEFR自体も確立したものでなく、手法は時とともに変わっていく。文科省は、整備して24年に英語民間試験の共通テストへの導入を目指すという。しかし、基本的な制度設計の再検討から始めるべきであろう。
大学入試で英語の「聞く・話す」重視は見当外れ
貿易実務などグローバルに活躍しているビジネスパーソンに聞くと、最近は海外とのやり取りの多くはメールだという。メールは、読む、書くのが主体だ。その意味では、4技能のうち「聞く・話す」を重視するあまり、入試に組み入れて高校や受験生の学習の動機付けをさせようという狙いは、現実には見当外れだ。
大学入学後の初年次教育において、標準科目として大学教育にふさわしい英語4技能を身につけさせるカリキュラムの共通化のほうが現実的だ。大学に入れば、学内には海外からの留学生や外国人教官も多い。本人が海外留学を希望する機会も生まれる。外国人観光客と接するアルバイトも多くなる。大学生活で聞く・話す能力を身につけなくては、という心理的動機付けは飛躍的に高まる。
無理をして、大学入試に聞く・話す英語能力を組み込む必要はないのではないだろうか。むしろ、現状の読解力と英作文の力をしっかり身につけさせる高校学習のほうが、メールでのコミュニケーション向きで合理的である。
(文=木村誠/教育ジャーナリスト)