あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
今回のテーマは、「ノーパン喫茶」。最盛期には全国に1000店舗以上存在しながらも、後に衰退していったその歴史を振り返ります。
最盛期は1000店以上あった「ノーパン喫茶」
ノーパン喫茶はその名の通り、スタッフが下着をはかずに接客する喫茶店のこと。その起源は、福岡・博多にあった「ピンク喫茶」だったとも、京都・西賀茂にあった「ジャーニー」だったとも言われています。最盛期の1981年には、全国で1000店以上も存在していました。
基本的にはミニスカートとストッキングをはいたノーパンのウェイトレスが接客してくれるだけ。スカートをめくるのはご法度で、おさわりもダメ。いわゆる生殺し状態です。けれども、ミニスカートから見えそうで見えないと思いきや見える、絶妙なチラリズムが成人男性たちの心をつかみました。また、床が鏡張りになっていた店舗も多く、女の子がやってくると男たちは一斉に下へと視線を落としたのでした。
第2次ノーパン喫茶ブームの象徴「イヴ」
その後ブームは沈静化しますが、1983年ごろより客が好きな店員を指名し、個室で手によるサービスを受けられる新業態が登場。これにより、第2次ノーパン喫茶ブームが巻き起こります。
この時期に圧倒的な人気を誇っていたのが、新宿歌舞伎町にあったノーパン喫茶「USA」の看板娘・イヴでした。高校卒業後、地元・静岡のデパートで働くごく普通のデパートガールだったイヴ。しかし、友人から「時給の良いウェイトレスの仕事がある」と「USA」を紹介されて、同店のウェイトレスへと転身。
アイドル顔負けのルックスと旺盛なサービス精神によりファンを増やし、ピーク時はイブ待ちの大行列が。さらに、早稲田、学習院、法政、中央といった有名大学を中心に200名以上の後援会が発足するなど、ノーパン喫茶界の最大のスターとして名を馳せます。そんな彼女は、後に「イヴちゃんの花びら」でポルノ女優デビューも果たしています。
しかし、1985年2月に施行された改正風俗営業法によって、ノーパン喫茶は営業が成立しなくなり、多くはファッションヘルスなどへと転業していきました。
今となっては、どこの繁華街へ行っても「トルコ風呂」などと同様に、看板を見ることがなくなった「ノーパン喫茶」。その後、登場したのが、ガールズ居酒屋やセクシービキニ居酒屋などです。ブラチラ、パンチラの裏メニューがあるお店では、ボディタッチなども注文できる店舗もあるというから、興味のある方はお調べくださいませ。
この連載では次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、ぜひお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)