7月に入り、米国株式市場が史上最高値を更新した。7月8日から20日まで、ダウ工業株30種平均株価は9日続伸するなど、多くの投資家が米国の株式市場に対して強気になっている。米国以外の市場でも、日本や欧州、新興国等、世界的に株式市場は安定した展開になっている。こうした株式市場の上昇に死角はないだろうか。
一般的に、株式市場は半年程度先の景気を映す鏡のようだといわれる。これは、株式市場が景気の先行きを反映するということを意味する。素直にこの考えに従うと、株価が上昇している場合、景気の先行きが良好だということになる。具体的には、雇用や生産活動などの「経済の基礎的な条件=ファンダメンタルズ」が安定していることが想定される。
では、足許の世界経済の状況はどうか。世界経済を俯瞰すると、米国は緩やかな景気回復を維持している。それ以外の地域では不透明要因が目立つ。欧州の政治混乱、テロの発生やクーデター未遂など、地政学に関するリスクも高まっている。こうした世界経済の現状を確認したうえで、何が株価の上昇を支えているかを考察する。その上で、今後どのようなリスクが想定されるかをまとめたい。
不確実性高まる世界経済
まず、世界的な株式市場の上昇は、経済の基礎的条件=ファンダメンタルズと整合的か否かを確認する。
最近、景気の先行きのリスクを高めた要因は、なんといっても英国の国民投票の結果だ。想定外に英国がEU(欧州連合)離脱を決定したことが、欧州経済の見通しを悪化させている。それが世界経済の先行き不透明感をも高め、国際通貨基金(IMF)も英国のEU離脱決定の影響を受けて世界経済の成長率予想を下方修正した。
欧州情勢に関しては、想定より早く英国の保守党の党首選挙が終了し、テリーザ・メイ氏が党首に選出され、サッチャー以来の女性首相が誕生した。また、独英の首脳会談でも正式な離脱申請の準備には一定の時間が必要との認識が共有されている。メイ首相は2016年内の離脱申請はないと表明した。
英国の保守党党首が早期に決まり、EUの首脳らとの目立った対立が起きていないため、「当面の不透明感は後退した」と評する政治アナリスト、エコノミストもいる。冷静に考えると、そうした見方はやや楽観的すぎるだろう。英国とEU諸国との交渉が進んでいないことは、決してリスクの低下を意味するものではない。むしろ、交渉に関するリスクが顕在化するのはこれからだ。交渉が進めば、英国とドイツ等EU加盟国の考えの違いがはっきりする。英国は依然として移民は拒否しつつ、単一市場に自由にアクセスしたいと考えている。しかし、ドイツ等のEU主要国は、「アクセスするなら義務を果たせ」と譲歩は一切認めない姿勢を示している。正式に離脱交渉がスタートすれば、再度、欧州の政治リスクが高まるだろう。
また、すでに存在するリスク要因も軽視できない。中国経済の減速トレンド、中東地域を中心とする地政学リスクだ。特に、地政学リスクに関しては、仏ニース等でのテロ事件、トルコの軍事クーデター未遂の影響が懸念される。米国大統領選挙も無視できないイベントだ。共和党の正式な大統領候補に、ドナルド・トランプ氏が指名されたからだ。
当初、泡沫候補と目されたトランプ氏の公約には「米国第一」の考えが強く表れている。トランプ氏は、安全保障や経済政策において米国の利害を最優先することを強調している。同氏は「北大西洋条約機構(NATO)の共同防衛を見直すべき」など物議を醸す発言を繰り返している。経済の先行きに明るい展望を見いだすことは容易ではない。
株価上昇を支える米国の利上げ予想後退
英国の国民投票直後、一時、世界の株式市場はパニックに陥った。この時の動きには、ややいき過ぎとみられる部分があった。その後、底値を拾う動きが出始め、徐々に過度な混乱は収束した。国民投票を控え多くの投資家は、リスクを回避するために株を売却していたといわれる。
そのため、押し目買いが広がるにつれ、買いが買いを呼んで相場が上昇したと考えられる。足許の市場は強気に転じている。「もはや英国のEU離脱は問題ではない」と言わんばかりに、投資家は先行きを楽観しているように見える。投資家の安心感を支えているのは、「当面、米国の利上げはないだろう」という思い込みだろう。
7月に入り、米国の地区連銀総裁らは、今後の利上げについて「辛抱強くなれる」と述べてきた。なかには、米国の経済指標が概ね良好であるため、年内に2回程度の利上げが可能との考えもある。しかし、欧州の政治リスク、欧州銀行セクターの動向など国際金融市場の潜在的な不安定さを考慮すると、利上げには慎重にならざるを得ないのが実情だろう。
一方、米国外の金融政策は概ね緩和に傾いている。これまで米国に次いで利上げを進めるのではないかと考えられていたイングランド銀行は、8月の会合で金融緩和を実行する可能性があることを示した。欧州中央銀行も必要に応じて追加緩和を打ち出すだろう。日銀も追加緩和に踏み切るとの見方は根強い。
そのなかで米国が利上げを志向すれば、多くの投資家がドル買いに殺到するだろう。いうまでもなく、主要通貨に対してドルが上昇する展開が想定される。そうなると、これまでに指摘されてきたように、ドル高が米国の企業業績を圧迫し、景気回復の足かせになる可能性がある。そのため、連邦準備制度理事会(FRB)は利上げには慎重にならざるを得ない。
ルー米財務長官をはじめ米国の政府関係者が「為替相場は秩序立っている」と発言してきた背景には、過度にドルの上昇圧力を高めたくないという考えがあるはずだ。こうした状況のなか、投資家は「利上げは容易ではない」と自分に都合の良い解釈を進めてしまっているのではないか。そして、低金利が株式市場への資金流入を支え、強気な見方が広がっている。
無視できないリスクは米国の金融政策
当面、最も重要なリスク要因は米国の利上げ動向だろう。客観的に米国経済を分析すると、景気は緩やかに回復している。6月、FRBは労働市場の改善ペースが鈍化したとの見方を示した。しかし、新規失業保険申請件数の推移をみる限り、雇用環境は良好だ。生産活動なども予想を上回っており、総じて米国経済は堅調だ。
個人消費支出(PCE)で見た物価は、目標水準の2%を下回る1.6%だ。だからといって、利上げがないと断じるのは尚早だ。昨年12月の利上げの際、FRBは中期的に物価が2%に戻ると考え、景気安定を支えるために利上げに踏み切ったからだ。今なおその姿勢に変わりはない。
一方、株式市場は着実に割高になりつつある。今後も低金利が続くとの観測が強まれば、割高感は高まるだろう。一方で米国の企業決算は減益トレンドが続いている。4~6月期の米企業決算について、アナリストらは前年同期に比べて5%程度利益が減少すると予想している。
それが現実味を帯びてくると、5四半期連続での減益だ。労働生産性の落ち込みが企業収益を圧迫しているとの懸念もある。ただ、今のところ、米国経済は全般的に良好だ。FRBが、「景気が回復している間に利上げを進め、相場の過熱感を抑えよう」と考えてもおかしくはない。この点は冷静に考えたほうがよい。
中国経済が減速するなか、世界経済は米国の景気回復に支えられてきた。言い換えれば、米国の景気回復があったからこそ、世界経済の混乱や経済危機の発生が避けられてきた。しかし、米国の景気回復がいつまでも続くわけではない。これまでの景気循環に照らせば、米国の景気は徐々にピークに近づいている可能性がある。仮に、利上げ予想の上昇などをきっかけに米国の株式市場が下落すれば、世界経済の先行き不透明感も追加的に高まるだろう。欧州の銀行業界の不良債権問題など、英国の国民投票を境に弱さが目立つ分野も出ている。
株式市場は強気に転じているが、世界経済を取り巻く不確実性は高まっている。そして、主要国の財政・金融政策にも手詰まり感が出ており、状況が悪化した際に有効な対策が打てるかは不透明だ。すぐさま、米国の景気回復の腰が折れる状況だとは考えづらいが、利上げに関する議論が再燃し始めた時、先行きへの懸念が高まりやすいことは冷静に考えるべきだ。
(文=真壁昭夫/信州大学経法学部教授)