文部科学省は5月下旬に、戦後大学政策の大きな転換になる方針を、地味だが表明した。国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会議(第4回)において、地方国立大学の収容定員を見直す資料を提出したのだ。「国立大学の収容定員の柔軟化について」というテーマである。
現在まで、国立大学については、18歳人口の減少を背景に収容定員の総数を増加させない方針を採ってきた。この方針を変更すべく、動き出したのだ。
表向きは、社会のニーズや産業構造の変化に対応した新たな分野の教育研究・人材育成の期待が国立大学に高まっている、ということだ。それには、スピーディーな教育研究組織の改編や整備が必要になってくる。その場合、国立大学の定員増が要求されることもあるだろう、というのである。
しかし、新分野に対応した大学の再編はいつの時代にも必要であり、何を今さら定員増への方針転換が必要なのか、いまいちわからない。
東京一極集中の抑制と若者の地方回帰という狙い
その資料の中に、比較的はっきりと、定員の見直しの真の政策意図を明確に打ち出している部分がある。東京における大学の新増設の抑制および若者の地方転入の促進である。
図表でわかるように、大学進学において東京は流入が全国でずば抜けて多く、そのほとんどが私立大学である。その点、流出では、近畿や愛知を除いた地方にわたっている。流出上位5県は相対的に大都市に近く、私大進学者の比率が高い。この表からも、東京一極集中のひとつの要素が東京の私大進学者の多さであることは否定できない。
そこで、今後10年間、大学生の集中が進む東京 23 区においては、大学の定員増は認めないことを原則とした。近年、東京一極集中の抑制を目的に、私大の定員抑制と、入学定員超過の東京の私大に対して私学補助金の支給停止などのペナルティーを課してきた。
ところが、入学者の定員大幅超過を避けるための合格者絞り込みによって、東京の私大の実質競争率が軒並みアップした。それに対して、受験生はどう動いたのか?
この1、2年の東京の私大入試の動向を見ると、同じ首都圏にある私大への併願を増やす受験生が多くなった。そのため、定員割れスレスレだった中堅私大下位校の志願状況が好転したのである。結果的に言えば、東京への集中の鈍化と地方への回帰は期待したようには起きておらず、私大受験生の首都圏エリアの併願校数が増加しただけなのだ。
もちろん文科省も、全国大学の志願状況から、地方振興につながる若者の地方への流れは期待ほど起きていない、という分析をしたはずだ。そこで次に、地元受験生のみならず都市圏などの受験生にも根強い人気がある、学費の安い地方国立大学の収容定員を増やす、という方針転換を目指したのであろう。それによって進学の受け皿を拡大すれば、地方への若者流入や定着が期待できるというわけである。
文科省による“縛り”がある国立大の現実
2004年に国立大学法人が誕生し、国立大学は形式上、国家機関ではなくなった。各大学は自主的に大学運営を行えるようになった。しかし、実際は、文科省へ6年ごとに中期目標と中期計画を提出して認可を受けなければならない。本当に独立しているなら授業料や収容定員は申請して自由に決められるはずだが、前述の通り、収容定員増は基本的に認められず、授業料は標準額の1.2倍以内と決められている。
授業料を標準より高くしている国立大学は、今のところ東京藝術大学、東京工業大学、一橋大学、千葉大学、東京医科歯科大学など首都圏の有力大学しかない。国立大学の標準より20%(約10万円)高くても東京の有名私大よりはるかに安く、お得感を維持できる。また、それだけ自学の教育に自信があるのだろう。千葉大も全員留学の導入をうたい、近年、その積極姿勢が目立つ。ただ現在のところ、国立大学協会に参加するほとんどの国立大学は横並びで、同額である。
定員にはさらに文科省からの縛りがあるので、増加は難しい。しかし、国立大学は法人化以降、国から運営費交付金を毎年1%減額され、大学の基幹経費は削られている。科学研究費など競争的資金は増えているという指摘もあるが、限定プロジェクトで期限があり、とても人件費や施設運営の基幹経費にはならない。
また、産学連携などによる外部資金導入に励めと言われても、地方の国立大学では厳しい。それは文科省自体が「一般に、地方大学や小規模大学は、産学連携をする上で地理的に不利だったり、寄附金などの自己収入を増やすのにも、都心部の大規模大学に比べて思うようにはならないなどの事情はあると思います」と認めている通りである。
授業料など学費の値上げも、地方経済が疲弊して受験生のいる世帯の家計が厳しい状況では難しい。そこで、収容定員を増やして学費など納入金が増えれば、基幹経費の充実に回すことができる。文科省の今回の方針見直しは、そのような意図もあるのであろう。
コロナ禍はチャンス?鳥取大学と宮崎大学の本音
実は、国立大学の定員増に転換するには、コロナ禍の今こそチャンスでもある。朝日新聞と河合塾の共同調査「ひらく日本の大学」で、全国の大学にコロナの影響について尋ねた7月29日記事で目を引いたのが、2つの地方国立大学のコメントである。学生の募集や中退を懸念する声が多い中で、むしろ自学にとってチャンスという鳥取大学と宮崎大学の声である。
鳥取大学は「都市部の大学や企業の脆弱性や都市部での生活の不安から、本学への受験生の増加や本学卒業生・修了生への地元就職者の増加が予想される」と答えている。宮崎大学も「『都市集中』から『地方回帰』が起こり、地方高等教育機関の中核をなす本学の重要性が増す」と自負を隠さない。
これは、地方国立大の多くに共通する隠れた本音と言えるであろう。コロナ感染者が多い東京や大阪は怖い、帰省もままならない、それなら地元の大学に目を向けて、魅力を再発見したらどうだろうか、というわけだ。地方回帰への足場となる可能性はある。
また、地理的ハンデを乗り越えるオンライン授業を、地方の大学教育の改革の好機と見なす意見も多い。山形大学、九州工業大学や奈良県立医科大学などだ。
熊本大学は、就職活動などもオンライン化が進めば、時間差や距離差がなくなり進路が多様化すると期待する。特に地方国立大生にとって、今まで大きなハンデと思われていた就活がオンライン化で地域を越えて進化すれば、大きな朗報であろう。
これらは他の地方大学にも共通する今後の課題であり、チャンスでもあろう。
地方の私大も教育改革が必要に
ただ、地方には国立大だけでなく、公私立大学もある。国策上、教育面で教員養成系、医療面で医学部、ものつくりで工学部、食糧自給で農学部などの学部系統は比較的地方国立大にも多いが、旧帝大を除いて人文系や社会科学系、国際系、福祉系は少ない。それらを同じ地域で担っているのが公私立大のことも多い。多様化する地元受験生のニーズを考えると、それらの学部学科がある大学と国立大は共存共栄を図らないと、大学進学の地方回帰は難しい。
それらの各大学の役割分担をどのように考えて国立大の収容定員を考えるか、という点で重要ある。私学関係者からも、定員割れの多い地方で、さらに国立大の収容定員増で入学定員の枠が広がった場合、地元の私大への影響を懸念する声も出ている。
ただ、地元の受験生にも選ばれないような旧態依然の私大教育では、国立大との連携も難しいだろう。地方私大も教育改革を進めなくてはならない。
たとえば、現在では定着しつつある専門職大学とは別に、既設の大学に専門職学科をつくることも可能だ。既存の大学が実践的な職業教育の専攻を新たに開設し、アカデミックな教育と、より実践的な教育を共に提供していけるように、既存の部の学部や学科を専門職学科に転換させるのもひとつの方法だ。うまく受験生のニーズをくみ取れば、人気復活も可能であろう。
地元の私大がこのような思い切った改革を進めていくことで、地方における国公私の連携への道が開かれるのではないだろうか。
(文=木村誠/教育ジャーナリスト)