米大統領選の各種世論調査で優位に立つ民主党のバイデン前副大統領は10月6日、リンカーン大統領が有名な演説を行ったことで知られる南北戦争の激戦地ペンシルベニア州ゲティスバーグで、「米国に必要なのは緊張を和らげ、対話が可能な状態を築き、国民を結束させることを目指す指導者だ。大統領として私はそれを実行する」と約束した。「現在の米国は南北戦争以来の分断が生じている」との論調が高まっているが、バイデン氏が大統領に選出されれば、米国は再び結束できるのだろうか。
「2016年に始まった嵐は2030年代まで終わらない」
このように指摘するのは、米国の地政学者であり、『2020-2030 アメリカ大分断 危機の地政学』(早川書房)の著者ジョージ・フリードマン氏である。フリードマン氏は1949年にハンガリーで生まれたが、共産主義政権の弾圧から逃れるため米国に移住した。ルイジアナ州立大学地政学研究センター所長などを経て、1996年に世界的なインテリジェンス企業「ストラトフォー」を創設した。同社は、政治・経済・安全保障に関わる独自の情報を各国の政治機関などに提供し、「影のCIA」の異名を持つ。
筆者は、地政学の手法を駆使しながら21世紀の世界の覇権の構図を予言した『100年予測』(2009年)を読んで以来、フリードマン氏の分析に注意を払ってきたが、今回の著書(2020年2月に米国で出版)は米国の将来そのものに焦点を当てており、極めて興味深い内容となっている。
「制度的サイクル」と「社会経済的サイクル」
フリードマン氏が注目するのは、米国で建国から現在に至るまでの「制度的サイクル」と「社会経済的サイクル」である。「制度的サイクル」は、連邦政府のあり方に関わるものである。第1サイクル(独立戦争~南北戦争)と第2サイクル(南北戦争~第二次世界大戦)がそれぞれ約80年周期であることに注目したフリードマン氏は、「1945年に始まった第二次世界大戦後の第3サイクルは2025年頃に終わり、次の第4サイクルに入る」と主張する。
もう一つの「社会経済的サイクル」は、社会と経済の関係に関わるもので、テクノロジーの発達などに左右されるという。第1期のワシントン周期(1783~1828年)、第2期のジャクソン周期(1828~1876年)、第3期のヘイズ周期(1876~1929年)、第4期のルーズベルト周期(1932~1980年)がそれぞれ約50年続いてきたことから、「1980年に始まった第5期のレーガン周期は2030年頃に終わり、次の第6周期に入る」としている。
それぞれのサイクルの終盤には制度疲労や社会的混乱が目立ち、米国衰退論や悲観論が支配するようになる。フリードマン氏によれば、1つ前のサイクルが終わりに近づきつつあった1960~70年代の米国社会はさまざまな出来事によって引き裂かれ、現在以上に深刻な状態にあった。ベトナム戦争、石油危機後のスタグフレーション、人種間の激しい緊張、キング牧師など著名人の暗殺、ニクソン大統領の辞任などが相次いで起こり、多くの国民は「米国は衰退どころか崩壊へと突き進んでいるに違いない」と考えていたが、振り返ってみると、水面下では次のサイクルへの準備が進んでいたという。
「米国はこれまで危機を乗り越え、新たな自信と繁栄の時代を取り戻してきた」と米国の将来に対して楽観的なフリードマン氏だが、「次の『危機』は米国の歴史上初めて2つのサイクルの変換期が重なる(2025年頃と2030年頃)ことから、これまでで最も厳しいものになる可能性が高い」と警戒している。
テクノクラシーの蔓延
現在の米国の現状のなかでフリードマン氏が最も問題だと考えているのは、連邦政府に蔓延しているテクノクラシーである。20世紀初めに生まれたテクノクラシーという概念は、「イデオロギーや政治に無関心な専門家の手に政府の運営を委ねられるべきである」というものである。彼らは「知性の力が世界を形づくる」と信じており、すべての領域において効率性の向上を目指している。
だが最近、専門家たちが自らの利益のために制度を変更する傾向が強まるとともに、連邦政府自体があまりに巨大化してしまったことから、テクノクラシーに基づく統治が逆に非効率なものになってしまったという。
専門家を軽視するトランプ大統領を信奉する白人労働者層などの間で、好き嫌いによって政策を判断する風潮が強まり、専門家による陰謀論が盛んに囁かれるようになった背景には、政府を最も必要とする人々にとって連邦政府があまりに不可解な存在となってしまったことが影響しているのだろう。
フリードマン氏は「専門知に固執したテクノクラシーの打破こそ来たるべき次の制度的サイクルの中心的課題だ」と主張するとともに、生物学の分野から生まれる画期的なテクノロジーに期待を寄せている。日本ほどではないが、米国でも少子高齢化が進んでおり(2018年の米国の出生率は過去最低となった)、高齢者が元気に活動できるテクノロジーが次の社会経済的サイクルには不可欠なのである。
少子高齢化が進むことで米国社会に「成熟」がもたらされるというメリットが生まれるが、危機を乗り越え次のサイクルに移行するために不可欠なエネルギーが不足するというデメリットも顕在化する。どんなに元気であっても高齢者による統治は、「古い観念」に支配される国家運営になってしまうだろう。このことは残念ながら現在の日本を見ているとよくわかる。
同時にやってくる2つのサイクルの変換期を前に、変革のエネルギーが乏しくなりつつある米国が、これまでと同様、未曾有の難局を乗り越えることは可能なのだろうか。