“学者の国会”といわれる日本学術会議が推薦した新会員105人のうち6人の任命を、菅義偉首相が拒否した。これは、学問の自由と思想弾圧として有名な戦前の「滝川事件」を彷彿とさせる大事件だ。
1933年の滝川事件では、京都帝国大学法学部の全教官が辞表を出して抵抗したが、今回もそれにならって日本学術会議の全会員が抗議の辞任をしてもおかしくない事態である。
学者の戦争協力の悔恨から生まれた日本学術会議
日本学術会議は、かつて学者たちが戦争協力を強いられ、あるいは自ら協力したことへの反省を土台に、政府から独立した学者の機関として1949年に設立された。
現在会員は210名、任期は6年間で3年ごとに半数の改選がある。日本学術会議法によって日本学術会議が推薦し、首相が任命するシステムである。
「首相に任命する権限があるのだから拒否しただけ」ではすまされない。それを言うなら、憲法6条1項にある「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」をどう解釈するのか。実際に天皇が拒否することなどありえない。
また、1983年に日本学術会議法を改定した際、当時の中曽根康弘首相は国会で「政府が行うのは形式的任命にすぎません」(同年5月12日、参院文教委員会)と答弁している。また総理府総務長官も、「推薦された人を拒否はせず、形だけの任命をする」と言明している。
こうした経緯をみれば、今回の菅首相は法律の解釈を勝手に変更しているのだから、重大だろう。
学問の自由を奪い、思想弾圧を拡大させた滝川事件の令和版
冒頭に書いた滝川事件を振り返ってみよう。1932年10月、京都帝国大学法学部の滝川幸辰(ゆきとき)教授が中央大学で講演したが、その内容を無政府主義的と文部省や司法省が問題視した。
明けて1933年3月、右翼の菊池武夫・貴族院議員や宮澤裕・衆議院議員らが滝川教授を攻撃。4月、内務省は滝川教授の二著を発禁処分。5月、文部省は滝川教授を休職処分にした。
それまで政府は、共産主義や社会主義を弾圧してきたが、この滝川事件を契機に自由主義思想へ弾圧を拡大するようになった。そして文化、芸術などあらゆる分野を弾圧する恐怖政治のきっかけのひとつになった大事件だ。
メディア支配からアカデミズム支配へ
今回の任命拒否事件は、安倍政権以降メディアを支配下に置いてきた政府が、学問・アカデミズムの世界へ触手を伸ばしてきたことにほかならない。放置すれば他分野に及ぶ可能性もある。
菅首相が任命拒否した6人は、全員が政府の政策を批判している研究者だ。
(1)安保関連法制に反対
芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)
岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)
小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)
(2)特定秘密保護法に反対
宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)
加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)
(3)共謀罪法に反対
松宮孝明(立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)
便宜的に3つの法律ごとに分けたが、おそらく拒否された6人は、安倍政権下すなわち菅官房長官下で強行された3つの重要法案に、反対ないしは重大な疑問を持っている。
つまり、アベスガ(安倍・菅)政権に反対する学者だけを狙い撃ちしているといえる。背後にある思想は、滝川事件と同様に、政府や主流派と違う思想や見解を持つ学者を排除することで共通している。
任命拒否を擁護するデマも
一方で、さっそくテレビなどで政権擁護の動きが出ている。
10月5日朝の情報番組『グッとラック!』(TBS系)では、コメンテーターの橋下徹氏と、任命拒否された立命館大学の松宮孝明教授(リモート出演)でやりとりがあった。
橋下氏は、菅首相が新会員の任命を拒否したことはまったく問題ないとしたうえで、日本学術会議を「政府が諮問する審議会」「任命拒否の理由を菅総理は説明する必要があり、政府に反対する学者だからというのはダメ」などという趣旨を述べた。菅首相が政府の政策に反対する学者だから拒否したとは言うわけがないと百も承知の発言である。実際、菅首相は6人の見解ゆえに拒否したことをインタビューで否定した。
この橋下氏をはじめ、テレビのワイドショーに出るコメンテーターたちの菅擁護に共通するのは、「任命を拒否されても研究はできるのだから、学問の自由を侵さない」「税金を使っているのだから、政府が統制するのは当たり前」「いやなら民間団体になればいい」というたぐいである。
任命拒否擁護・政権擁護者は、日本学術会議に問題があると論点をすり替えている。なかには、虚偽の内容で日本学術会議を非難し、菅政権を持ち上げる人物もいた。
前述の『グッとラック!』と同日に放送された『バイキング』(フジテレビ系)で、フジテレビの上席解説委員・平井文夫氏は、「この人たち6年ここ(日本学術会議)で働いたら、そのあと学士院というところに行って、年間250万円年金がもらえるんですよ。死ぬまで。みなさんの税金から」などと述べたのだ。
野党の合同ヒアリングに出席し担当官庁の役人は、「学士院は別の法律で扱っており、そのプロセスも別ルート。学士院の定員は150人、現在は130人の終身で、新しく入るとしても年数人程度」と説明している。平井氏の発言は事実無根だったわけだが、局のアナウンサーは訂正したものの、当の平井氏は翌6日の『とくダネ』(フジテレビ)で「誤解があった」旨を述べただけで謝罪もない。
このように、アカデミズムの世界や日本学術会議を非難することで、政府による学問の自由や思想信条の自由への介入という最大の論点を隠す手法である。
ゆがんだ合理主義と新自由主義的発想
戦前的思想弾圧の発想と同時に見逃せないのは、ゆがんだ合理主義と新自由主義的発想で政権擁護と日本学術会議攻撃をしていることだ。
「税金を使っているのだから、言うことを聞け。それがいやなら、民間団体にすればいい」というたぐいであり、橋本氏や平井氏の考えに共通している。
それに対し『グッとラック!』にリモート出演していた、松宮孝明教授(刑事法)は、およそ次のように述べた。
「どこの国にもアカデミー機関はある。それを単なる民間団体にすると、日本はアカデミーのない国になってしまう」
エセ合理主義を優先させると、日本が三流国になるということだろう。それにしても松宮氏が京都大学出身で、立命館大学の教授であることも興味深い。前述の滝川事件のさなか、抗議の辞表を提出した京大教授らを受け入れたのが立命館大学だったからである。
菅総理による任命拒否、それに続く政権擁護と日本学術会議への攻撃の背景には、日本の文化・伝統・アカデミズム・知識人に対する憎悪が明らかに見て取れる。「既得権益」打破などと聞こえのいいことはいっても、エリート(上級国民)に対する大衆の反感を煽っているだけだ。「上級国民」の悪いところを糾し、「下級国民」が幸せになる社会になるならまだしも、結果は180度逆になるであろう。
もし筆者が会員の学者なら、滝川事件当時の教授たちのように辞表を提出し、なおかつ全員の辞表提出を呼びかけるだろう。そして、問題の深刻さに気付いた人がすぐにできるのは、「#日本学術会議への人事介入に抗議する」とハッシュタグを拡散して世論を喚起することだ。
日本学術会議任命拒否事件は、後で振り返れば歴史の転換点になるかもしれない。
(文=林克明/ジャーナリスト)