当の朝鮮総連関係者も、今回の買収には驚いている様子。
「池口氏が我々と関係の深い住職というのは秘密でもなんでもありませんでしたが、中央本部のある土地・建物を買い取るとは思いませんでした」などの声も聞こえてくる。
池口氏は“永田町の怪僧”“炎の行者”などと呼ばれ、政治家や芸能人、スポーツ選手との交流も盛んに報じられている。医学博士の肩書を持ち、日本、ロシア、フィリピンなどの大学で客員教授の職を受け持つ傍ら、鹿児島アマチュアボクシング連盟副会長、西日本学生相撲協会顧問などユニークな役職も務めている。
また、小泉純一郎元首相の遠縁であることや、安倍晋三首相に辞任や復帰を助言した人物とも取り沙汰されており、歴代政権の指南役としての顔もちらつかせている。実際、最福寺が発行している月刊誌「最友」などでは、日本救国論と銘打った持論を展開。「ふるさと投票」など挑発的な政策論を唱えている。
さて、この池口恵観氏とは一体何者なのか?
池口氏といえば真っ先に思い出されるのが、「三無事件」の関係者として逮捕された経歴だろう。三無事件とは、61年の12月に摘発された陸上自衛隊少壮将校によるクーデター未遂事件。これは、安保闘争などによる日本の“共産化”に脅威を感じた将校たちが、政府要人暗殺を図った事件だったと報じられている。
戦後初のクーデター未遂事件であり、破防法を初めて適用された事件としても名高い。池口氏は、当時の衆議院議員・馬場元治の秘書となり、国会議事堂内へ襲撃するタイミングを図る役割を担っていたとされている。
ただ、未遂事件であり関与も少なかったとされ、不起訴で釈放処分だった。当時の冷戦状況を反映してか、三無事件には韓国、台湾など反共陣営だった国の青年の“協力”があったというのも興味深い。
その後、池口氏は67年に宗教法人「波切り不動最福寺」を設立。アジア戦没者の慰霊活動などを活発に行ってきた。07年には右翼団体・日本青年社の講演に来賓として招かれ、「頑張れ日本! 全国行動委員会」の田母神俊雄とは、「神官仏僧合同大東亜聖戦祭」の開催にも尽力した。
こうした経歴を一見すると、伝統的な保守思想を持った人物とカテゴライズされてもおかしくない。ただ、宗教家としての哲学や、度重なる北朝鮮への訪問、よど号事件ハイジャックメンバーたちとの面会などの経歴を見ると、簡単にはそうとも言い切れない部分がある。ひとつだけ確かなことは、思想よりも行動を優先するアクティビストの一面があるということだろう。
ちなみに池口氏はネット上で「エセ右翼」などと揶揄されることもしばしば。しかし、その評価は決して正しくない。日朝外交において“対話”の窓口があるというのは、非生産的な圧力一辺倒よりも、よっぽど“国益”にかなっているからだ。拉致問題など諸々の問題があるが、“圧力をかける”のと“圧力しかかけられない”のとでは雲泥の差がある。
一部では、安倍首相が池口氏を頼り、「日朝国交正常化」が始まったと推測するメディアもある。前回、小泉訪朝の成果を霧散させた安倍首相が新政権でどのような外交を見せるか、見ものでもある。
余談だが、先日、NBAの元スタープレイヤーであるデニス・ロッドマンが訪朝して話題になった。金正恩氏との対話についてフランクに語る姿が、とても印象的だった。日本にも北朝鮮に訪問した人々が大勢いる。アントニオ猪木、デヴィ夫人、江頭2:50などが有名どころだ。北朝鮮は4月に入ってミサイル発射を示唆するなど、ますます強硬な外交姿勢を固めている。それぞれの思惑で腰が重い政府間のやりとりは一向に進みそうになく、民間外交だけが頼みの綱になる可能性もある。
個人の栄達のためか、または日本の国益のためか、池口氏の行動の真意は定かではないが、北朝鮮を恩を売ったかたちになる「永田町の怪僧」が、日朝外交の隠れたキーパーソンになることだけは間違いなさそうだ。
(文=編集部)