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東電・福島原発、震災後も“防潮堤なし”で数千人が作業、地震計故障のまま放置

文=菅谷仁/編集部
東電・福島原発、震災後も防潮堤なしで数千人が作業、地震計故障のまま放置の画像1
東京電力ホールディングス公式サイトより

 2月13日、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3、最大震度6強の地震が発生した。東日本大震災・東京電力福島第1原発事故の発生から間もなく10年の節目に至ろうとする時期で、福島県民のみならず日本中の人の頭の中に“福島第1原発の安否”がよぎったことだろう。地震発生当初、「異常はない」と発表していた東電だったが、数日を経てその杜撰なあり方が浮き彫りになった。

原発建屋の地震計を故障のまま1年間放置

 梶山弘志経済産業相は24日、閣議後記者会見で「原子炉建屋への地震の影響を丁寧に把握することは重要であり、早急に復旧すべきだったと考えておりまして、誠に遺憾」と東電に不快感を示した(以下、経産省の動画参照)

 梶山経産相が不快感を示しているのは、東電が福島第1原発3号機の地震計2台が故障したまま放置していたことに対してだ。地震計の故障は2月22日の原子力規制委員会で初めて明るみに出た。その席上、東電は故障を知りながら修理や交換対応をしていなかったことがわかったのだ。

 会見によると、東電は20年3月、原発建屋の状況把握のために比較的に線量の低かった3号機に無線型の簡易地震計2台を設置した。しかし、そのうち1台は同年7月の大雨で水没して故障、もう1台は同年10月ごろ計測値にノイズが入るようになった。その後、原因究明に時間がかかり、今月13日の地震時には稼働していなかったのだという。

 2011年3月の原発事故時の水蒸気爆発で、原子炉建屋の一部は半壊した。除染作業が進み、同原発敷地内でも防護服・全面マスク着用でなくても活動できる場所が増えてはいるが、原子炉建屋やタービン建屋周辺が高線量区域であることに変わりはない。そんな状況下で原子炉建屋を直撃する地震の規模と構内設備に対する影響の相関を知り、防災対策を考える上で、地震計が収集するデータは重要だ。廃炉作業は今後数十年続く予定で、その間に新たな巨大地震の到来も否定できないからだ。

 2013年ごろから東電の下請けとして廃炉作業に携わる作業員男性(38)は次のように語る。

「とにかく第1原発構内の対地震・津波対策は震災被災地の中で最も遅れていると思いますよ。地震計の件もさもありなんです。東電さんとしては、『本当に東日本大震災クラスの巨大地震が来たら、地震計どころじゃないからどうでもいい』という意識の表れなんだと思いますよ。国も東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まったころから、事故後の第1原発の防災力対策より、とにかく廃炉計画を進めることに腐心してきましたからね。例えば、防潮堤の件とかが一番わかりやすい例でしょう」

原発の防潮堤建設に見る「廃炉計画優先」「人命軽視」の風潮

 前出の作業員男性が指摘する「防潮堤」とは、昨年9月25日に完成した海抜11メートルのL型擁壁のことだ。1~4号機の周囲に設置されたもので、2017年に政府の地震調査委員会が「北海道の太平洋沖にある千島海溝沿いで巨大地震が切迫している」と評価したことを受けての対応だった。

 東電の発表資料によると、防潮堤建設の目的は以下の通りだ。

「切迫性が高いとされている千島海溝地震に伴う津波に対して、建屋流入に伴う滞留水の増加を防ぐこと、並びに重要設備の津波被害を軽減することにより、福島第一原子力発電所における廃炉作業が遅延するリスクを緩和すること」

 東電は地震調査委の予測をもとに、原発に襲来する津波の高さを10.3メートルと試算し、高さ11メートルの擁壁で建屋を囲った。ところが内閣府の有識者会議は20年4月、「東北地方の太平洋沖に位置する日本海溝沿いの巨大地震で最大15.3メートルの津波が原発に到達する可能性がある」と新たな試算を出した。東電は23年度までに最大16メートルの防潮堤を建設する計画を発表するなど、イタチごっこの様相を呈し始めている。

 事故当時から福島第1原発の保守作業に関わっている東電協力企業社員(58)は語る。

「プレスリリースの防潮堤の設置目的をよく読んでほしいのですが、どこにも『現場の人命を守るため』とは書いていませんよね。なにより9年間、ここの防潮堤が満足に検討されていなかったということを改めて多くの人に考えてほしいです。

 震災被災地の気仙沼市や石巻市などで防潮堤建設が問題になっていましたよね。それらが話題になっていた当時、ここには仮設防潮堤しかありませんでした(下写真)。常時、数千人が海の間際で仕事をしているのにかかわらず、です。

東電・福島原発、震災後も防潮堤なしで数千人が作業、地震計故障のまま放置の画像2
福島第一原子力発電所仮設防潮堤写真(2011年7月1日 東京電力公式サイトより)

 地震調査委を含む政府の専門家委員会は2011年直後、震災クラスの大津波が再度襲来する可能性は低いという見解を示していました。しかし誰もゼロとは言っていませんでした。福島県沖や三陸沖で震災の余震活動と見られる中規模地震はこの10年弱続いています。現場には『次に震災クラスの津波が来たら、ここで働いている俺らは全員助からないな』とあきらめていますよ。

 我々作業員や従業員は、地震発生と津波警報が発令されれば高台に避難することになっています。しかし、遠隔モニタリングで災害の直撃を受けた原子炉の状況を把握するのには限度があります。最終的に線量的に行けるところまで行って、人が目視するしかありません」

福島第1原発では震災の津波で運転員2人が亡くなった

 原発事故が発生する直前、前出の協力企業社員が指摘しているような痛ましい事例が起こっていたことはあまり知られていない。

 震災に伴う津波により、4号機のタービン建屋で東電福島第1原発第1運転管理部の運転員小久保和彦さん(24)、寺島祥希さん(21)の2人が亡くなった。政府の福島原子力事故調査報告書や当時の東電の会見資料によると、2人は2011年3月11日、地震発生直後に運転員控室へ避難。同日午後2時47分、3号機タービン補機冷却系の冷却水タンクの水位低下警報があり、その直後、中央制御室からの指示を受けてタービン建屋に調査に向かい、津波の襲来とともに行方不明となった。

 2人の遺体が見つかったのは同年3月30日。タービン建屋の汚染水を抜く作業をしていた東電社員が発見した。原子力規制委や東電などによると午後3時ごろ、原発構内の各所に設置された拡声器などから、津波襲来に関する警告が流れていたが、2人はすでにタービン建屋地下に向かった後で、運転員用のPHSも通じなかったのではないかと見られている。

 東電の福島第1原発事故公式サイトの「再び大きな地震・津波がきた場合の対策」には以下のような記載がある。

「今回の地震(編集部注:東日本大震災)によって、原子炉建屋およびタービン建屋や耐震安全上重要な機能を有する主要な機器・配管に大きな損傷はありませんでした。実際の地震観測記録をもとに、原子炉建屋およびタービン建屋、耐震安全上重要な機能を有する主要な機器・配管がどの程度の影響を受けたかを解析した結果、評価基準値よりも十分な余裕を有していたことを確認しています」

 設備の健全性を誇るのに余念がないようだ。福島第1原発もまた震災の津波で被災し、死者が出た場所であるという事実は、どこかに忘れられてしまったのだろうか。原発事故の再発は日本という国にとって二度とあってはならない。災害への設備の健全性と保つのと同時に、現場で働く人々の命にももっと目を向けてほしいものだ。

(文=菅谷仁/編集部)

菅谷仁/Business Journal編集部

菅谷仁/Business Journal編集部

 神奈川新聞記者、創出版月刊『創』編集部員、河北新報福島総局・本社報道部東日本大震災取材班記者を経て2019年から現職。

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