森友文書改ざん、加計学園の愛媛県面会記録、PKO(国連平和維持活動)日報隠し――公文書のあり方と管理問題が、今年に入っても次々に噴き出し収まらない。
3月に森友学園への国有地売却の財務省決裁文書の改ざんが発覚、4月には「ない」とされていた陸上自衛隊のイラク派遣部隊の「日報」が保管されていることが判明、さらに加計学園問題で柳瀬唯夫首相秘書官(当時)が愛媛県や学園関係者と面会した記録文書が見つかった。面会の際、柳瀬氏は「本件は首相案件になっている」と発言したとされる。
6月には、財務省が森友学園がらみの決裁文書の改ざんを「許容範囲」、残っていた交渉記録の廃棄については廃棄可能な「保存期間1年未満」だったとして、「適切な文書管理」とみなしていたことが同省の調査報告書で明らかになった。
これら一連の事件の経緯は、公文書管理法に違反する行為や身勝手な公文書管理を示すものだ。ということは、公文書管理法の本来の趣旨と公文書の管理・保存・利用の仕方を、主権者の国民が点検しなければならないことを意味する。同法は「民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得る」ことを目的に、2011年に施行された法律だからである。
公文書偽造罪などに問われる、行政文書の改ざん
公文書管理法の対象文書とは、行政機関の職員が職務上作成・取得した文書・図面・電磁的記録からなる「行政文書」と、独立行政法人や国立大学、日本銀行などの公的法人の「法人文書」、歴史資料として重要な「特定歴史公文書等」を指す。公文書管理法は、国民の「知る権利」に基づき行政文書の開示を定めた01年施行の情報公開法と兄弟関係にある。民主主義を支える双璧の法律といっていい。
ところが、これが悪用もしくは無視され、公文書の信頼性が失われた。公文書が改ざんされれば国民は政治・社会状況の判断を誤り、歴史認識がゆがめられる。自衛隊の日報隠しにより、自衛隊のPKO活動の生々しい実態が国民の目から見えなくなる。
1年半ほど前を思い起こしてみよう。東京都の築地市場の豊洲への移転をめぐり、世論が沸騰した。豊洲の地下の汚染物質を封じ込める盛り土が計画通りにされていないことが判明したからだ。計画変更を記録した内部文書は、ついに見つからなかった。東京都の小池百合子知事は、調査した結果、盛り土をしないと決めた責任者を特定できず、「流れのなかで、空気のなかで決定の方向に進んでいった」と説明した。都政の無責任体制が浮き彫りになったのだ。
一方、米国でも16年の大統領選挙時に、候補者のヒラリー・クリントン氏が国務長官時代に私用メールを公務に使ったことから公的情報の漏洩リスクや情報管理のずさんさが浮上し、勝利の潮目が変わる一因となった。
行政機関や政治権力者が、責任を問われる根拠となり得る公的記録の作成を避けたい意図が透けて見える。記録に残らない私用メールで、公務上の連絡や報告、相談をするようになるのも自然な流れだ。
そもそも、行政文書が不存在だったりゆがめられたりすれば、国民は政府活動の実態を知ることができない。改ざんは犯罪であり、公文書偽造罪(刑法155条)などの刑事責任が問われる。
深刻な問題は、肝心な政府の意思決定の過程が公文書に記録されていないことだ。森友学園や加計学園の問題で、首相官邸側は要人の日程表や面会内容、報告などの記録が「何も残っていない」と説明している。これでは真相究明は永久に閉ざされる上、政府の説明を鵜呑みにできない。
情報公開請求しても「不存在」「廃棄」を連発
情報公開問題に詳しい情報公開クリアリングハウス(三木由希子理事長)によれば、情報公開請求をしたところ、首相、官房長官、副官房長官、首相補佐官および秘書官に誰が面会したのかがわかる日程表やそれに類するものは、ことごとく「不存在」とされた。
森友文書改ざん問題をめぐり3月に国会に証人喚問された佐川宣寿・前国税庁長官の日程に関して、国税庁は情報公開請求から60日後に請求受け付け当日の日程表のみ開示してきたという。前長官の日程表は「1日のみ保存で、あとは廃棄された」ことになる。
このように、政府の活動記録の「不存在」が重大問題化してきた。通常、省庁の職員の文書のやり取りは電子メールで行われる。しかし、加計問題で、文部科学省は調査して見つかった官邸の指示を伝える添付ファイルを、行政文書ではなく「個人のメモ」として扱った。
こうなると、行政文書の定義や運用のガイドラインも全面的に見直す必要がある。たとえば、行政文書の要件のひとつに「組織的に用いるもの」が挙げられている。これを根拠に、当局は「組織として用いていない。個人のメモ」と言い逃れしてきた。この要件を取り払って、単に「職員が職務上作成・取得した文書を行政文書」とみなす法改正をするのが筋だろう。文書を故意に残さなかったり改ざんしたりするような悪質なケースを厳正に処罰できる法改正も必要だ。
モリカケ問題を機に、暴走する行政のゆるんだ規律を立て直さなければならない。
(文=北沢栄/ジャーナリスト)