「惨殺事件の部屋は“鉄のにおい”がした」叩き上げ刑事が語る小説よりもリアルな現場
島田:そうです。で、当時の刑事課長に再三断ってもらっていたんですけど、最終的には「島ちゃん、もうムリだよ」「分かりました」と。ちなみに、私が一課にいる間でも、5人ぐらいの同僚が離婚しています。われわれがいちばん脂が乗っている時期というのは、ちょうど子どもの進学時期にも重なってきますし、当時はまだ携帯電話も普及していませんから、ちゃんと話をできる時間というのもほとんどない。そうなると、やっぱり奥さんからすれば、「同じ神奈川県内にいて、どうして帰ってこれないの?」ってことになるんですね。ウチの場合は、女房が立派なやつだったんで、なんとかそうならずには済みましたけど(苦笑)。
――刑事ドラマに出てくるベテラン刑事が、たいていバツイチだったりするのは、実は真に迫っていたんですね。
島田:現在は事情も変わってきているかもしれませんけど、当時の神奈川県警というのは特にハードで、事件に対して人の記憶が残っている10日ないし2週間の間に大量の捜査員を導入して、あらゆる情報を吸い取る、という人海戦術は“神奈川方式”と呼ばれていた。一度、千葉県警との合同捜査になったときなんかは、「神奈川にはついていけない」と言われましたしね。
――そうやって家庭を犠牲にしてまで仕事に心血を注いでも、刑事という職業柄、感謝されることより憎まれることのほうが多いような気がします。モチベーションはどうやって維持を?
島田:たとえば、竹やぶで2億円が見つかった事件(89年 川崎・2億円竹やぶ置き去り事件)に携わったときのように、社会的反響の大きな事件の捜査をしているときは、自分がその一員であることが、おかしな言い方をすれば「うれしい」というかモチベーションにはなりました。まぁ、そうは言っても、日々扱っているのは、ほとんどの方が知ることのない、新聞にも載らないような事件のほうが圧倒的に多いわけですけど。
――ドラマのように、しょっちゅう殺人も起きませんよね?
島田:相模原で班長をしていたころ、「ひとりの班長で、こんなに本部が立ちあがったのは珍しい」と言われたことがありますけど、それでも7〜8年いて、3件起きれば多いほう。身代金目的の誘拐に関してはもっと少なくて、私の知る限り県内の大きな事件としては、警視庁の元警部が小学生を誘拐した88年の事件と、あとほかにもう1件あったぐらいです。本の中でも触れた香ちゃんの事件(91年 横浜・小学生女児行方不明事件)のように、なんの足取りもつかめないまま迷宮入りしたケースというのはほとんどありません。
――あの事件のくだりは、涙なくしては読めませんでした。そうした未解決事件への複雑な胸中というのもおありかと思いますが、刑事という立場を離れたいま、率直に感じることは?
島田:一課にいたころは、買い物に出かけてもいつ呼びだしがあるんじゃないかとつねに気を張っていて、女房にも「心ここにあらずの人と行ってもつまんない」と、よく言われたものでしたが、いまはどこに行くのも自由。そういう部分での喜びはありますね。もちろん香ちゃんのことは一度も忘れたことはありませんし、仲間同士で集まっても必ず話題になるほど、私自身にもいまだに忸怩たる想いがあるのも確かではありますが。
――総括するとすれば、「わが刑事人生に悔いなし」ですか?
島田:どうですかね。辞めるときは自分なりに「もう十分だな」と思ったはずなんですけど、半年、1年とたってみると、不思議なもので「また刑事やりたいな」と思っている自分がいる。あの燃えるような現場に、気がつくと戻りたくなっているんですよ(笑)。
(文=鈴木長月)
【プロフィール】
島田伸一(しまだ・しんいち)
1951年、熊本県生まれ。高校卒業後に上京。機械加工メーカーの営業マンを経て73年、神奈川県警で警察官となる。88年から、捜査一課特殊班で活躍。その後、中原、川崎、相模原、大和の各署で刑事生活を送り、昨年、定年退職。