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『スッキリ』アイヌ差別検証番組、決定的に欠けていた点…局内で「何が差別表現に当たるか」認識薄らぐ

協力=水島宏明/上智大学文学部新聞学科教授<テレビ報道論>
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日本テレビ系『スッキリ』公式サイトより

 今年3月に日本テレビ系の情報番組『スッキリ』でアイヌ民族に対する差別表現が放送されて社会的な批判を受けていた問題で8月26日(木)、同番組は「検証コーナー」(検証番組)として「『スッキリ』アイヌ民族差別発言 放送経緯のご報告」を放送した。この検証番組は適切なものだったのか。日本テレビの報道局でドキュメンタリー制作と解説キャスターを経験し、現在、上智大学で「テレビ報道」について教鞭をとっている水島宏明教授に話を聞いた。

――全体的な印象は?

水島氏 放送局はBPO(放送倫理・番組向上機構)に審議されて「放送倫理違反」と結論づけられるような不祥事になると、なぜその不祥事が起きてしまったのかを自分たち自身で検証して、二度と同じことが起きないように再発防止の方策を取ることを求められます。

 これがBPOの公式ホームページの冒頭にも書かれている「放送界の自律と放送の質の向上」を促すという考え方です。

 その意味では「検証コーナー」そのものは、一般の視聴者にもわかりやすく制作するというよりは、BPOの委員たちに対して「自分たちはこんなに反省しています」「原因についてはこんなふうに自己点検しています」「再発防止策について考えていることは、こんな方法です」ということを示すためのものという意味合いが強いといえます。このため、どうしても堅苦しい印象になりがちで、BPOを強く意識し、どちらかというと放送業界の内輪向けのセレモニーのような面があります。

 放送局でこうした不祥事があるたびに、どの局でも検証番組の放送を行うものですが、今回のアイヌ差別をめぐる検証コーナーは、この種の番組としては誠実さと真剣さを感じさせる内容になっていると感じました。一方で、私から見ても、もの足りないと強く思うところもありました。

――冒頭から最後まで頭を深々と下げる場面が多く、「セレモニーなのでは?」という批判もあります。

水島氏 この問題では当時の社長などがさまざまな場ですでに頭を下げています。ただし、それはアイヌ民族の関係者であったり、報道陣であったりで、視聴者を相手に公式に謝罪するのは今回が初めてのことです。問題の番組を放送したその番組の中で局の責任者である執行役員が反省して謝罪で頭を下げるという意味では、視聴者へのお詫びというセレモニー的な要素がどうしてもあったと思います。これも内輪の理屈といわれればその通りですが。

具体的にどんな表現だったのかを明かさず

―もの足りないところとは?

水島氏 番組のなかで、放送内容のどこが「差別表現」にあたるのか具体的には明らかにしなかったことです。検証番組では「週末にオススメのHulu作品の中からアイヌ民族の女性を描いたドキュメンタリー『Future is MINE-アイヌ、私の声-』を紹介したことと、作品紹介の後でリスの着ぐるみを着た出演者がシメとして『ここで謎かけをひとつ。この作品とかけまして動物を見つけた時ととく。その心は…』と言い、続けてアイヌ民族の名前を動物にたとえるコメントをしました」と説明。「これは以前からアイヌ民族の方々に向けられてきた差別表現でした」として、BPOの放送倫理検証委員会で審議された経緯を説明しました。これを見て、実際にどういう表現が差別表現だったのかを理解できる視聴者がどのくらいいたでしょうか。

 もちろん、検証番組とはいえ、もし具体的な差別表現をそのまま放送してしまったら、その表現が一人歩きし、ネットなどで切り取って使われてしまうなどのリスクも考え、あえて差別表現を具体的に明らかにしなかったという理由は想像できます。

 ただ、具体的にどんな表現だったのかを明かすことがないかたちで、いくら関係者が頭を下げても、一般の視聴者には十分に理解できなかったのではないかと思います。

 この検証番組を見て、よくわかったことがあります。番組制作現場の責任者であるチーフ・プロデューサーや統轄プロデューサーも「侮蔑的なニュアンスがあるのではという違和感」や「黄色信号は灯った」と感じたものの、「確信をもってただちにお詫びすることや訂正することを言い出せませんでした」などとしています。筆者の世代の報道経験者であれば、その表現が「絶対に許されないレベル」のものだとすぐに判断できますが、テレビ局の番組制作の現場にいる人間さえもすぐに理解できなかった。

 このことは何を意味するのかというと、今回の検証番組のように具体的な差別表現について伝えることを避けてばかりいると、「何が差別表現に当たるのか」がテレビ局のなかでさえも共有されない事態になってしまうということです。

BPO向けのセレモニーで終わったような「軽さ」

――具体的な差別表現を避けることが問題なら、ではどういう方法があるでしょうか?

水島氏 たまたま先週末、日本テレビは恒例の『24時間テレビ』を放送していました。44回目で今年のテーマは「想い〜世界は、きっと変わる。〜」でした。さまざまな障害がある人や難病患者、ガンを宣告された患者など、いわゆる社会的弱者の人たちの問題を年に一度、考えていくというチャリティー番組ですが、こうした日本中の視聴者が注目する番組のなかで、今回のアイヌ民族の問題を取り上げてもよかったと思います。

 でも今回の『24時間テレビ』は私もずっと見ていましたが、アイヌの人が登場するコーナーはなかったように思います。『スッキリ』の検証コーナーでは「今後、『スッキリ』などで『アイヌ文化』を深く理解し広く伝える企画を継続して放送してまいります」と誓った。メインキャスターの加藤浩次さんが「我々は今回の放送で終わりだとけっして思っていません。むしろ今回が始まりだと思っています」とアイヌ民族の歴史や文化について勉強しながらよりよい番組づくりをめざしていきます」と述べた後で2人の局アナの出演者とともに頭を下げましたが、これは『スッキリ』だけの問題ではなく、日本テレビ全体の課題だと思います。その意味では『24時間テレビ』などの機会を活用することを考えてほしい。検証番組は、反省したものの局全体の問題ではなく「『スッキリ』だけの問題」のように総括していた印象がありました。

 また、『24時間テレビ』が放送されている間に、NHKのEテレ『バリバラ』が『2・4時間テレビ』という番組を放送しました。障害者などマイノリティーに注目が集まるこの時期に、大事だと考えるテーマで生放送をぶつける一種のパロディー番組といってもいいもので、以前は障害者を無理やり感動的に描こうとしているとして「感動ポルノ」の番組を批判しました。今回、6回目の放送でしたが、驚いたことに、今年の『2・4時間テレビ』はその3分の1ほどの時間を使って扱ったのはアイヌ問題でした。

 日本テレビの『スッキリ』で問題になった差別表現が、いかにアイヌ民族の当事者にとって重い心の傷となってしまうのか。アイヌ民族の女子大生が生中継で自分の経験を涙ぐみながら話していました。彼女の涙の訴えは見ていて心が揺さぶられるような迫力がある放送でした。その差別表現が歴史的に背負ってきた差別意識をきちんと可視化させた、すばらしい番組でした。差別表現を具体的には出さなかった日本テレビとは違い、具体的な差別表現そのものを本人やスタジオのキャスターらが語り合っていましたが、制作した人たちに覚悟があるから、あえて触れることができたのだと思います。

 それに比べれば、『スッキリ』での検証番組は局の覚悟がどこまであったかというと、BPO向けのセレモニーで終わったような「軽さ」があったように感じました。加藤浩次さんらもやると宣言した以上、覚悟をもってこれから臨んでほしいと思います。

(協力=水島宏明/上智大学文学部新聞学科教授<テレビ報道論>)

●水島宏明

上智大学文学部新聞学科教授、元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター

1957年生まれ。東大卒。札幌テレビで生活保護の矛盾を突くドキュメンタリー『母さんが死んだ』や准看護婦制度の問題点を問う『天使の矛盾』を制作。ロンドン、ベルリン特派員を歴任。日本テレビで「NNNドキュメント」ディレクターと「ズームイン!」解説キャスターを兼務。『ネットカフェ難民』の名づけ親として貧困問題や環境・原子力のドキュメンタリーを制作。芸術選奨・文部科学大臣賞受賞。2012年から法政大学社会学部教授。2016年から上智大学文学部新聞学科教授(報道論)。放送批評誌「GALAC」編集長。近著に「内側から見たテレビーやらせ・捏造・情報操作の構造ー」(朝日新書)、「想像力欠如社会」(弘文堂)

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