『翔んで埼玉』もびっくり! 30年前はこのB級映画が大ヒットしていた…それは 『丹波哲郎の大霊界』
あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。今回のテーマは、30年前に大ヒットした意外な映画について。
現在、埼玉をディスりまくる映画『翔んで埼玉』(東映)が大ヒット中。並み居る大作を押さえて、初週の週末興行ランキングで堂々の1位を記録。3月10日までに興行収入15億円を突破したそうです。一見B級映画ですが、そのパワーは超A級といったところでしょう。
実は今から20年前、同じように一見B級の映画が大ヒットし、ブームを起こしていました。その映画こそ『丹波哲郎の大霊界』。生前、「霊界研究家」として知られていた故・丹波哲郎が、「製作・企画・原案・脚本・総監督・出演」の1人6役をこなして作り上げた、超意欲作にして、超迷作だった同作について、ここでは紹介していきたいと思います。
80年代、「霊界の宣伝マン」を名乗っていた丹波哲郎
昨年1年を振り返ると、さまざまな著名人が鬼籍に入ったことが思い出されます。人間はいつか死ぬもの。そうわかってはいても、若くして逝去した有名人のニュースなどを見聞きするたびに、漠然と、いつ訪れるかわからない死の不安が頭をかすめたりするものです。
そんな人が抱く恐怖の根源を司る「死」、及び死後の世界について、明確な答えを提唱していたのが、丹波哲郎その人でした。
思い返されるのは、1989年6月、丹波(当時66歳)に、元女優(当時51歳)との間にもうけた14歳になる隠し子の存在が発覚した時のこと。「報道の内容は真実なのか?」と詰め寄る記者たちに対して、丹波が「本当も本当、大本当!」「全然隠してないよ」とあっけらかんと認めたうえで、「いい機会だから、全国の皆さんにちょっと教えておくと……」と言い、「子どもはどの親のもとで生きるか選んでから、この世に生まれてくる」と、得意の霊界話を繰り広げたことは今でも忘れられません。
丹波が生前、霊界について熱心に研究を重ね、その存在を確信していたのは有名な話。特に80年代は「霊界の宣伝マン」を名乗り、上記の記者会見同様、隙あらば霊界の話をして周囲を困惑させていたものでした。
若山富三郎、渡瀬恒彦、野際陽子、千葉真一も出演した“大霊界”
そんな霊界研究家・丹波の集大成ともいえる作品が、『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』(1989年公開)でした。本作は、丹波が、製作・企画・原案・脚本・総監督・出演と1人6役を務め上げた意欲作中の意欲作。ストーリーは、事故死した物理学者・曽我隆が、霊人キヨに導かれて精霊界・霊界へ行き、さまざまな不思議な体験を経て、人間界に転生するチャンスを与えられるというもの。主人公・曽我役を丹波の長男・義隆が務め、物語のキーマンである霊人キヨ役を岡安由美子、さらには、大霊人役に若山富三郎、特別出演で渡瀬恒彦、野際陽子、千葉真一が集うという、なんとも豪華なキャスティングも話題になりました。
1989年の邦画配給収入第9位を記録!
このように、死後の世界を冒険するという、邦画にしてはかなりファンタジックかつエキセントリックな設定だったにも関わらず、丹波のネームバリューもあってか、公開当初は立ち見が出るほどの人気を博し、最終的には、1989年の邦画配給収入第9位を記録する大ヒット作となったのでした。
ちなみに、この好評ぶりに勢いづいて『大霊界』は、シリーズ第2、第3弾まで製作されています。死んだらどうなるのか気になる方は、ぜひ一度ご覧になってみると良いでしょう。
この連載では次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)
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