秋篠宮家の長女眞子さまとの婚約が延期されていた小室圭さんが、週刊誌などで報じられてきた母親の400万円以上の「借金トラブル」について文書を公表し、「母も私も元婚約者の方からの支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました」と主張した。それに対して、母親の元婚約者は「トラブルは解決していない」と反論し、「生活費や学費などは貸したつもりでいた。返済して欲しい気持ちは変わらない」と話している(「朝日新聞デジタル」1月22日配信)。
これでは、「今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたい」と小室さんが文書で述べたことが実現するかどうか、疑わしい。むしろ、母親の元婚約者の「貸したのだから返して欲しい」という以前からの要求と、小室さん母子の「贈与だと認識している」という主張の間の溝は埋めがたいように私の目には映る。
この文書の公表は、秋篠宮さまが昨年お誕生日に際しての会見で、「現状では納采の儀を行えない」と明言され、今でも2人が結婚したいという気持ちがあるのならば「相応の対応をするべき」と条件を示されたことに対して行われたと考えられる。
だが、母親の元婚約者の理解を得るために「借金トラブル」をどのように解決するのかという具体的な対応を小室さんは示さなかった。そのうえ、双方の間の溝がいかに深いかを改めて印象づけたのだから、国民を納得させるのは難しそうだ。むしろ、反感を買うのではないか。
「認知」のずれ
今回の文書でも感じたのだが、これまでの経緯を振り返ると、母親の「借金トラブル」をめぐる小室さんの「認知( cognition )」は、母親の元婚約者とも一般大衆とも相当ずれているという印象を受ける。
それでは、「認知」とは何かという話になる。精神医学的には、外界の情報を何らかの処理過程を通して内部に取り入れる機能的な活動全般を指す(ちなみに、哲学では「認識」と訳される場合が多い)。
この処理過程が、いわゆる“普通の人”とかなり違うと、「認知」のゆがみが生じる。そのため、同じものを見聞きしても、周囲には理解しがたい反応をすることが多い。こうした「認知」のゆがみは、持って生まれた素質と育った環境によって生じるが、小室さんの場合は母親の影響が大きいように見える。